仙台市電保存館

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仙台に行き、仙台市電保存館を見学してきた。

仙台市電保存館の存在は、およそ20年以上前、筆者が高校入学の春休みに仙台に旅行に行った際、ホテルの新聞で知ったのが始まりで、かねてから、機会があれば見学したいと思っていた。今回、20年越しに実現したわけである。

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館内に保存されているのは、モハ1型とモハ100型、それにモハ400型の3両である。モハ100型の一部は、長崎電軌に譲渡され、今でも現役である。

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モハ100型とモハ400型は、外観からは同じ車型に見えなくもないが、車内に足を踏み入れると、昭和37年製のモハ400型は、無塗装化が推進された近代的な造りをしているのがよく分かる。なにより、モハ400型の台車は空気バネで、筆者が車内に入ると、車体がふわふわと揺れたのが印象的だった。運転台にも、降車知らせボタンがあるのね。

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一方、モハ100型は昭和27年製。近くに車体の高さほどの半2階構造の見学台があって、そこに登ると、屋根の様子が見られる。各地に博物館などの保存施設は数あれど、屋根に装備される各種パーツについてまで、見学が考慮された施設は珍しい。

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特に、集電装置の降下紐の様子がつぶさに分かるようになっており、興味を引き、目を見張った。路面電車の集電装置は、ビューケルの走行時のはずれにまつわるエピソードだとか、トロリーコンタクターの操作の役割を併せ持つなど、高速鉄道のパンタグラフとは違う側面がある。従って、この、降下紐は重要な役割を果たすわけだが、こうして現物を目の当たりにすると、その構造はとてもシンプルで、紐もごく普通のロープだ。

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流線型を意識した特徴的なモハ200型が保存されていないのは、惜しい。館内に展示されているモハ200型といえば、個人が製作された模型のみであった。

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往復には、富沢駅から無料送迎車が用意されており、徒歩だと駅から12分ほどかかる道のりを、歩かずに済む。しかし、館内は空調がなく、風も吹き抜けないので暑い。見学しながら、汗が滴り落ちてくる。保存が主目的の「保存館」であり、博物館とは違うということを印象づける。だが、展示は開設を含めて充実しており、立派なパンフレットまで用意されている。見学に30分程度を見込んでいたが、気付いたら1時間以上、見入っていた。

余談だが、前述の「高校入学の旅行」とやらは、筆者にとって単独で行った初めての鉄道趣味旅行であり、仙台という地に、感慨深いものがある。その時、仙石線の陸前大塚駅を訪れているが、当時はまさか、20年後に未曾有の大災害に見舞われるだなんて、思ってもみなかった。

今回、震災後初めて仙台駅の構内に降り立ったが、駅構内は、人も設備も、震災前と変わらぬ様子を見せていた。

ありがとう、京成電鉄! ~ アクセス特急の増発で旅の可能性が拡がりました ~

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この夏、京成電鉄が、成田空港へのアクセス特急を上下1本ずつ、増発してくれた。

ダイヤは、下りが京成上野5:18-成田空港6:14、上りが成田空港23:08-京成高砂23:50である。

プレスリリース上はただの何気ない増発列車にしか見えないかもしれないが、これらの列車が運転されたおかげで、筆者はJW8521便とGK118便に搭乗することが出来た。


JW8521便とGK118便の航空会社はいずれもLCCで、京成電鉄がアクセス特急を増発してくれたことにより、今回の筆者の旅全体で見ると、かなり格安の値段で、北海道旅行が楽しめた。この金額を超える内容であれば、筆者は今回北海道に行かなかった。

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いわば、京成電鉄が、旅の可能性を拡げてくれたわけで、とても感謝している。

それと同時に、京成電鉄のマーケットリサーチ能力の高さに、関心させられた。この夏のLCC国内線就航というビジネスチャンスと、成田空港利用客のニーズを上手く汲み取った、良い商品(ダイヤ)だと思う。

一方、JR東日本は、LCC国内線の就航を静観しているのか、何も動きがなかった。自社管内の新幹線への影響を意識しているのだろうか。

上り列車は京成高砂行きと、やや中途半端な列車に映るかもしれないが、京成高砂にて京成上野行き普通列車に接続する(京成高砂23:54-京成上野24:14)。そのため、都心方面への足は確保されており、これまた、臨時列車を定期列車とを効率良く組み合わせ、魅力ある商品に仕上げているあたり、目を見張るものがある。

しかも、空港第2ビルで様子を見ていたら、この臨時上り列車運転のために、わざわざ成田空港まで回送で送り込んでおり、深夜の割増賃金の時間帯に、料金不要という客単価の低い列車を動かすために、かなりの労力が注ぎ込まれている。

上記列車は、2012年8月1日から8月31日までの運転とされており、動向を見るためのテストかと思いきや、車内は8両編成の座席が程よく埋まるぐらいの乗車率があり、需要を見込んだ自信ある商品のようにすら映った。

搭乗当日はGK118便が遅延したため、増発列車がなければ、成田空港から自宅までの公共交通機関による移動手段が、確保出来なかった。時刻表上では接続するように見える定期列車も、搭乗手続や、ランプバスでの移動などを考慮すると、実際には接続しないため、前述の臨時列車運転は、本当に有り難い。

このように、京成電鉄は空港アクセスに対し、痒いところに手が届くサービスを提供してくれる。このあたり、同じ空港アクセス鉄道でも、24時間空港となった羽田空港に対し、目立った対応を見せていない東京モノレールや京浜急行電鉄とも違う、良いサービスに思い、評価したい。先頃発表された、成田空港へのアクセス状況の、スカイアクセス線と京成本線合わせて、28%という数字が、その実力を物語っている。

ホームで列車を待っている間、「8月限定の臨時列車です」…というアナウンスが流れたが、出来ることなら、定期列車を望みたいところ。

出てこ~い! 銀ガマ!

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お盆休み中、EF81型300番台を写したくて、九州へ行った。

小倉に宿泊し、ずっと張っていた。お盆期間中でウヤが多いのは予想していたが、さすがに3日間も張っていれば、せめて1本ぐらいは撮影出来るだろうと、仄かな期待を抱いていた。

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しかし、結果は惨敗…。筆者が小倉で張っていた3日間、動いた門司のEF81型は451号機だけ。

結局、九州での3日間に写した貨物列車は、2本だけであった。

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450番台も、ご当地のカマということで、せっかくなので、大牟田貨物を快速で追い掛け、西牟田と黒崎で撮影したが、最終日は、どうせ銀ガマは動かないだろうと、早々に見切りを付け、乗り潰し等、他に時間を当てることにした。

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所期の目的であったEF81型300番台は、列車内から写した1カットだけ。

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筆者は、今まで貨物列車を本格的に写したことがなく、今回初めて貨物時刻表を購入し、それを携えて九州まで行ったわけだが、やはり、慣れないことをするものではない。

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でも、八幡や黒崎の専用線のことなど、今回の撮影を通じて得ることも多く、今回の九州行は、決して無駄ではなかった。

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~おまけ~ 現役の銀ガマが動いてくれないので、和布刈公園まで押しかけ、退役した銀ガマを写してきました。

103系1500番台

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九州に行き、103系1500番台を写してきた。

103系は大好きな形式で、特に地下鉄乗り入れ用という特殊用途となればなおさらなのだ。しかし、筆者が103系1500番台を写すときは、決まって時間がない。

今回も、九大学研都市での許された時間は30分程度で、僅かな時間しか確保出来なかった。狙える列車は2本だけで、しかも、2本のうち1本は、こんな時に限って303系が来てしまい、写せた103系は、僅か1本だけであった。

しかし、今回は順光の下で写せた。これまで、早朝・夜間に写した写真ばかりなので、お気に入りのカットが残せて良かった。欲を言えば、よほど集中して撮影したにもかかわらず、それでも左端に標識が見切れてしまったのが残念だが、練習電なしで写したカットなので、ヨシとしたい。

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一方、後続の303系は、103系での反省を踏まえ、満足出来るカットが得られた。

地下区間で聴く、MT55サウンドは迫力満点で、103系のもつエッセンスがトンネルに反響し、ドライブを効果的に演出してくれる。特に、1500番台は自然通風式なので耳障りなブロウ音もなく、そのクリアなサウンドは、大好きだった営団地下鉄東西線乗り入れ用・103系1200番台を彷彿とさせてくれ、この上なく懐かしい。

今度こそ、九州に行ったときは、103系1500番台を、じっくり、腰を据えて撮影したい。

セノハチノ ロクナナ モミジイロノ

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セノハチ名物のEF67型が、置き換えられると聞き、初めてEF67型を撮影してきた。

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EF67型にカメラを向けたのは、30年以上のファン人生で、今回が初めて。

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それどころか、筆者は、今まで貨物列車の撮影を本格的に行ったことなどなく、今回初めて、貨物時刻表を購入し、腰を据えてEF67型の撮影に臨むことにした。鉄道ファンなので、セノハチやEF67型の存在は当然知っていたが、いざとなると、EF67型の運用形態をほとんど知らず、今回勉強して、初めて得た知識も多かった。

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輸送障害が発生したのか、時刻どおりに列車が来ないので、予定していた沿線での撮影は諦め、八本松駅のホームで写した。輸送障害が発生すると貨物列車は無ダイヤ状態で、せっかく持ってきた貨物時刻表も、ほとんど意味を為さない。

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やって来る列車は、ほとんどが100番台だったが、1本だけデッキ付きの基本番台が来てくれた。コキのコンテナに空きがあり、後部補機として活躍するシーンを、上手い具合に記録出来た。

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なお、輸送障害発生中、なかなか貨レが来ないので、広島貨物ターミナル駅に行って、留置中のEF67型を撮影したり、瀬野駅でスカイレールに乗車したりして、待ち時間を過ごした。スカイレールの模様は、今後ご紹介したいと思っている。

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秋に、後継機であるEF210型300番台がお目見えすることになっているが、EF67型全機の置き換え時期は、まだ発表されていない。恐らく、補機という特性上、301号機での性能試験等の結果を踏まえて、今後が決まるのだろう。

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だから、撮影を急ぐ必要はないのだろうが、こんな機会でもないと、いつものようにセノハチを素通りしてしまうので、この夏、北九州を旅行した際の道すがら、西条に宿泊して1日、もみじ色のロクナナを追い掛けた。



京阪の名車・3000系 富山で健在なり

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富山地方鉄道10030系が、京阪特急色に復元されたと聞いて、写してみたくなり、東京から、アルペンルート経由で立山入りした。この夏、京阪から8000系8030番台の来春引退が報じられたこともあり、京阪3000系(旧)に、注目が集まる。

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富山地鉄の黄色と緑の“かぼちゃ色”は、個人的には「下品」で好きになれない。だから、1本だけとはいえ、10030系の今回の塗り替えは歓迎だ。鳩マークと“テレビカー”の文字も復元され、ムード満点!


惜しむらくは、前面幌枠が撤去された姿で、のっぺりとした印象は好きになれない。幌を装着したゴツイ表情はもう拝めないにせよ、せめて幌枠の飾り帯があれば良いと思う。


塗装といえば、富山地鉄には、14760系や10020系にもかぼちゃ色化された編成がある一方で、在来の“雷鳥色”も健在だ。カラーリングが統一される気配がなく、富山地鉄の方向性を問いたい。富山地鉄といえば、“雷鳥色”のイメージが強く、しっくりする。16010系や10030系の“雷鳥色”も、ぜひ見てみたい気がする。

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余談だが、京阪8000系8030番台の引退が前述のとおり報じられた。8000系に編入できてしまうほど、大規模な改造を受けたことだし、1900系の例からすると、あと10年程度の使用に耐えうるように思える。しかも、“びわこ号”を復活させようとしているこのタイミングで、京阪8000系8030番台を廃車にしてしまうのは、流れとして不思議に思える。沿線行事等のピーク時の波動用に残すことは出来ないのだろうか?

ところで、その廃車を報じる記事は、どこも「旧3000系」という表記が用いられていて、「8000系8030番台」という表現はほとんど見受けられない。京阪の公式リリースですら、「旧3000系」とあるほど。

やっぱり、3000系といえば、3000系。

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3000系は、名車なのである。

近くなった北海道、 近くなった函館

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五能線と津軽鉄道に乗ってきた。今回の旅は、気分転換に函館観光を加えてある。

1日目は函館。

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東京駅から6:28発“はやて11号”の人となる。列車はE2系。

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車内では、専ら録り貯まりっぱなしのワンセグを視て過ごす。車窓から久し振りに見る仙台の街並みは、つい1年ほど前に大災害に見舞われたとは思えないほど、見事に復興していた。

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八戸から先は、初めて乗る区間。乗り心地が良いが、隧道と防音壁が多い。東京から新青森まで“はやて11号”の所要時間は3時間33分。青森が東京に、かなり近くなったことを実感する。新青森10:01着。

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新青森からは、10:16発のスーパー白鳥11号。新青森の在来線ホームは、幅員の狭い島式ホームが1本だけと、新幹線の乗り換えターミナルにしては、かなり規模が小さくて、物足りなく映る。東北新幹線函館延伸後の動向を見据えた造りなのだろう。

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最初の停車駅・青森でスイッチバックして、進行方向が変わる。青森で大量の乗車があった。週末や夏休み期間中など、津軽海峡線の輸送力は不足気味。新幹線函館延伸を見据えて、車両への投資を抑制したい気持ちは分かるが、札沼線電化で捻出されたキサハを客車列車に仕立てて、輸送力列車を運転するのはどうだろう。牽引機は“はまなす”用のED79型を間合い運用すれば良い。最小限の投資で済むはず。

指定席はA席だったが、津軽海峡線に入ったら内陸側を向いてしまい、車内から津軽海峡を楽しむのは難しい。考えたら分かることで、A席が太平洋側を向くのは、東北本線在姿時だ。

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ただ、A席に座ったことで、収穫もあった。青函トンネルを抜けて北海道に入ると、新幹線の建設工事が盛んで、その様子が具に見てとれた。

函館12:22着。鉄道利用で、東京から5時間54分で函館まで到達するようになった。乗り換え間合いを除けば、5時間30分台だ。

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函館に着いて、駅前の市場で、楽しみにしていた海鮮丼を食べる。お店がいっぱいあって、どのお店でどの丼を頼んだら良いのか、迷う。

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夏の北海道を訪れたのは初めて。北海道でも、日中は暑い。涼しさを求めて、港に向かい、青函連絡船・摩周丸を見学する。昨年の今ごろ、船の科学館で羊蹄丸を見学したが、摩周丸の方がスケールがデカく見える。摩周丸の船内は、往年のまま、特に「マス席」が残っているのが嬉しかった。青函間だけで3時間50分を要したが、マス席で、知らない人同士、談笑しながら思い思い過ごす時間はとても楽しく、退屈しなかったそうだ。

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摩周丸を慌ただしく見学し、次に函館市電に乗る。5年前に一度全線を乗り歩いているが、夜だった。それに、函館市電にカメラを向けるのは、函館駅での乗り換えの合間などに慌ただしく済ませることが多いので、一度、ゆっくりと接してみたかった。湯の川方面行きの電車に乗ってみる。

車両は2000型で非冷房車。真夏に非冷房車と聞いただけでうんざりしそうだが、車内は意外と涼しく、走り出してしまえば、窓から吹き込む風が、やや冷たいぐらい。函館の場合、1年を通じて冷房を稼働する時間は僅かだろうし、非冷房という選択肢は、ある意味合理的なのかもしれない。

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駒場車庫で下車して、車庫にいる車両を撮影する。あいにく逆光気味だったが、帰宅後に画像を見ると、カメラ側が綺麗に補正してくれていた。最近のコンデジは、オートのままでも素晴らしい威力を発揮する。

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9600型が来たので、湯の川まで乗る。最新の低床車だが、運転台はツーハンのまま。降雪時の操作性を考慮すると、ツーハンに軍配が上がるのかもしれない。運転室には「セラジェット」のスイッチがあり、ただし、使用停止中という注記があった。15年ほど前に鉄道総研が開発した増粘着剤で、空転に目を見張るほどの効果があり今後が期待されたが、軌道回路に影響を及ぼすなどの事例も見られ、今では積極的な使用例を聞かない。

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500型が入庫しようとしているのが見えたので、湯の川からの帰り、もう一度駒場車庫に立ち寄ってから、末広町に向かう。八幡坂から、函館港をバックに市電が横切るシーンは、函館市電を象徴する場面であり、一度写してみたかった。市電の接近が分からないので、待っている間も気が抜けず、思っていたよりも撮影は大変だった。

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ここまで、撮影はすべてコンデジで済ませて来たが、八幡坂ではデジイチで確実に狙う。荷物になるので、デジイチを持って行くべきかどうか、最後まで悩んだが、持ってきて良かった。

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夕方になったので、函館山に登る。

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筆者の旅は専ら鉄道主体だったが、最近では、自分の旅に観光要素を取り入れることが増えてきた。年齢を重ねるが故の心境の変化なのだろう。沿線に観光地や名所があっても、まるで目を向けず、「鉄道メイン」と意気がっていたのに、自分でも不思議な変化だ。

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函館山ロープウェイはゴンドラが大きくて、不安定に見えるが、乗車してみると、そのようなことはなかった。大型で輸送力をいかんなく発揮するが、夜が近付くにつれ、観光客は増える一方で、18:30からは5分ヘッド運転で対応していた。日没が近付くにつれ、だんだん寒くなる。観光客の中には、半袖1枚という人も多いが、それでは耐えられない寒さだ。

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利用したパック商品の都合で、この日は青森県の弘前に宿泊するため、19:18発の“スーパー白鳥98号”で函館を後にすることになっている。時間ギリギリまで粘ってみたが、日没後も函館の街はなかなか暗くならず、せっかくだが、100万ドルの夜景を目にすることなく、函館山を下りた。夜景どころか、霧が発生し、函館山からの展望はあまりスッキリしなかったが、暗くなるまでの間、「あぶない刑事」のサントラを聴きながら過ごした時間は、自分にとっては有意義なひとときであった。「あぶない刑事」の舞台は港町・横浜ということで、聴いていたサントラが、同じ港町である函館にも、見事に調和した。

こうして、楽しみにしていた函館での7時間は終わりを迎え、“スーパー白鳥98号”と701系の普通列車を乗り継ぎ、宿泊先の弘前駅前のホテルに入った。

箱根登山鉄道 新型3000型導入と旧型車

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箱根登山鉄道が、3000型(仮称)の新造を発表した。イラストによると、どうも、叡山電鉄の“きらら”のようなイメージだ。

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3000型は、箱根登山初のVVVF車となり、これまた初めて、回生制動となる。その特殊な条件から、開業時から発電制動が当然のように採用されてきたため、回生失効時に不安がある。3000型同士の2連列車の場合、下り勾配を暴走するシーンなどが思い浮かぶが、素人が思いつくような懸念事項など、プロは当然、検討するだろうから、問題ないのだろう。

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それに、箱根登山線の電力事情はカツカツと聞くから、3000型の回生電流は電車線に返るだろう。しかも、通常は2000型との併結運用となるようで、これは、同一饋電区分内に電力を消費する他車が常に傍にいることを意味するわけで、回生失効は、心配する必要はないのかもしれない。

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それにしても、ここにきて、“単車”の新造は意外だった。1000型以降の箱根登山鉄道は、固定編成を採用していたため、今までの感覚だと、2000型の中間車を増備するところだっただろう。しかし、2000型のデビューから20年以上が経っており、今さら中間車を増備したところで、インパクトに欠けるだろうし、3000型の新造という企画は、有名観光地における話題提供という意味でも、正解だと思う。

3000型は、2000型2両編成のどちらか一方に併結されるようだが、箱根登山鉄道は、スイッチバックがあり、箱根湯本発車時点と強羅到着時点とで、編成の向きが変わる。そのため、同じ下り列車でも、撮影区間を工夫すれば、組成方向に制約を受けることなく、3000型を先頭にしたシーンが写せるわけで、趣味人を困らせることはない。

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筆者は、どういうわけか、箱根登山線に行くと2000型の2両編成に当たる確率が多く、サラリーマンゆえ、訪問するのが決まって土休日であることも相まって、その混雑度にウンザリさせられる。19年前に、せっかく全線3両編成対応工事が行われたにも関わらず、2両編成が残るのは不満だった。

小田原-箱根湯本間が全列車小田急車による運転に切り替わり、運用数に余裕が出来た後も、2両編成は残った。箱根登山鉄道の小型車が、日中でも小田原に顔を出していた頃を知る身とすれば、当時と比べ、登山線の輸送力が大幅に増強されたのは分かるが、終日3両編成で運転されても良さそうに思っていた。

だから、3000型の就役が待ち遠しい。

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一方、ホーム撮影時は、2両編成のおかげで、アングルが得られることがあり、2両編成も、あながち悪くはない。

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ところで、新車と聞けば、それと引き換えに廃車となる旧型車のことを考えるのが、われわれ愛好家の“お約束”であるが、今回の3000型新造は、2000型の増結用なので、その心配は無用のようだ。

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しかし、せっかくの機会なので、ここで箱根登山鉄道の旧型車を改めて記録してみたくなり、先月、箱根まで行ってみた。

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ずっと永いこと小田急ファンをやっているが、グループ会社で、しかも、小田急線とレールが繋がっているにもかかわらず、筆者は、箱根登山線の宮ノ下-強羅間が未乗だった。鋼索線については全線である。なので、当日は“トコトコきっぷ”を買い、沿線で撮影しながら、早雲山まで進んだ。強羅をネグラにしているモニ1も、今回初めて撮影している。

モハ1の吊り掛け車に乗車することが出来、非冷房ゆえ、窓を開けたその心地良い風と、吊り掛けモーターのダイナミックサウンドを同時に楽しめ、懐かしく思う。

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徐々に標高が高くなると、気温がヒンヤリとしてくるが、ふと屋根に目を向けると、抵抗器の排熱の陽炎が立ち、視覚的な涼しさは感じない。保安要件が年々厳しくなる一方で、非冷房車でも、窓も大きく開け放つことが出来ず、開口制限のため、車内は暑く感じる。こうなると、いくら涼しい山間部を走る列車とはいえ、冷房車が恋しい。

~京王3000系の引退から半年~ 岳南鉄道7000型・8000系

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京王井の頭線から3000系が姿を消して、半年が経つ。

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筆者は高校時代の通学時に毎日利用していた形式なので、思い入れがあるが、事情があって、昨年11月のお別れ運転にはいずれも参加出来なかった。

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ステンレス車がまだ珍しかった時代。とかく単調になりがちだった外部に、7色のレインボーカラーを採用した京王3000系は、井の頭線において50年弱の活躍を見せた。7色のアクセントは、高級な街並みが続く井の頭線沿線に、さり気ない彩りを添えて、沿線の文化のひとつとして定着した。

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ところで、京王3000系は、今でも地方私鉄で活躍を続けている。先日、岳南鉄道の7000系・8000系を見学する機会があった。

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8000系は、元東急5000系置き換え用として、単行仕様の7000型と異なり、2両編成とされた車両で、大きな輸送力に期待された。しかし、日中は7000型が充当されることが多いため、筆者は目にしたことがなかった。昨年秋の検査時に、グリーンの色調が変更されたとか。

京王3000系は、造形が独特であるため、色や細かな仕様が変更されても、京王時代のイメージを(良い意味で)拭いきれないでいる。岳南鉄道8000系もその例で、井の頭線のカラーバリエーションのように映る。予備車のような位置付けだが、ステンレス車体が功を奏し、予備車特有のうらぶれた感じはしない。このあたり、晩年は同じ予備車でも粗末な扱いを受けているように映った5000系との、待遇の違いを感じる。ちなみに、8000系には“がくちゃんかぐや富士”という愛称がある。

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岳南鉄道はこの春、貨物輸送の廃止という大きな局面を迎えた。これによって、路線の存続すら危ぶまれるようになった。こうなると、ただでさえ持ち前の収容力を発揮する機会の少ない8000系は、真っ先に整理の対象となりそうで、気になるが、これは筆者の考えすぎで、前述のように検査を通ったばかりなので、しばらくは安泰かも。

そのとき、デワは動いた…

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今まで、高幡不動に何度足を運んだことか。

京王電鉄の電動貨車・デワ600型は、構内をいくら見渡しても、どこにもその姿を見せない。

本来なら、総合検測車・クヤ900型“DAX”を編成内に組成し、本線上を行く姿を撮影してみたいところだが、運行予定などまるで分からず、せめて、構内に留置されている姿でも良いから、写してみたいと思っていた。

しかし、“ガード”が固く、簡単なことのように思える留置中のシーンすらも、困難であった。

ところが、先日、デワが、レール運搬車・チキを組成して出動し、若葉台に収容されたという記事を目にした。若葉台なら、高幡と条件が異なり、撮影可能ではないかと期待し、若葉台に行ってみると……。

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いた!

しかし、いることはいるけれど、遠い…。

被写体に近付けないが、工夫次第でどうにか上手くまとまりそう。フェンス越しの撮影で、網目に難儀するが、こういう時、コンデジだと網目を楽々クリア出来ることがあり、デジタルズームを併用出来るなど、意外に重宝する。

トリミング前提に、画素数を普段使わないサイズにまで上げ、どうにか撮影する。

被写体が遠くて、物足りなさが残るが、今まで一度も撮影出来なかっただけに、記録出来ただけで嬉しかった。

翌日、仕事の帰りにもう一度若葉台に行ってみると、デワの姿はなくなっていた。高幡に戻ったようだ。

もう、いつものネグラに収まってしまっているかもしれないが、入換の都合でまだ構内にいるかもしれない。期待を胸に、高幡不動に向かう。

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すると、構内にいるデワの姿が見えた。

来て良かった。

時は日没を迎える頃だが、まだ充分に撮影可能で、検車区を1周し、あれこれアングルを模索する。手前に7000系が在線中で、編成全体はおろか、1両全体すら見渡せるアングルはないが、贅沢は言っていられない。

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今度は場所を、モノレールのホームに変えて写す。汚れたガラス越しの撮影に苦労し、周りの乗客の視線も気になる。

こうして、沿線に住んでいながら、今まで一度も撮影することが出来ずにいた、京王電鉄デワ600型を記録することが出来た。

今度は是非、検測列車を写してみたい。

往時の輝きを取り戻した横浜市電1150型・1156号車

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横浜は久良岐公園に保存されている、横浜市電1156号車は、全国各地の保存車のご多分に漏れず、目も当てられないほど荒廃していた。

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しかし、昨年、地元新聞記者の呼びかけで修復が始まり、この度、その姿が見事なまでに蘇った。

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その仕上がりは、「復元」を通り越して、まるで「更新工事」を受けたように見えるほど。それが故に、ややレプリカ然と映るような気がしないでもないが…。これは、床下がスッカラカンなので、そのように見えるのかもしれない。

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遠くから見ていると、公園の出口で帰りの乗客を待っている営業車両のように見える。車内には電灯が点り、ヘッドライト横の方向指示器のランプもウインクし、スイッチを操作する見学者を楽しませてくれる。このように、配線が施され、内外とも電気の点灯に対応しているため、1156号車の「息吹」を感じずにいられないのだ。

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修復に携わった業者は、鉄道車両の専門業者ではないのだが、持ち前の技術力は1156号車の修復に、いかんなく発揮された。部品単位での交換が前提の最新のステンレス車と異なり、昔の車両は、こうした、職人技によって、丁寧に手入れが施されていた。技術によるカバーが優れていたからこそ、昔の車両は、長持ちした……美しく復元された1156号車を前に、そんなことを考えていた。

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1156号車は、久良岐公園の案内板の目印になっている。目印というからには、ガラス窓1枚残っていない無惨な姿ではなく、電車然としていて欲しいと思う。今回の修復によって、1156号車は公園の立派なシンボルになった。

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1156号車は、保存車の中では恵まれている。

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荒廃がひどく解体の話しが上がったというのに、それが、今にも走り出しそうな姿に、生き返ったからだ。

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修復の発起人は新聞記者個人だが、地元企業による技術協力や、新聞社によるバックアップなど、他のケースとは事情が異なり、修復過程の記事を読んでいて、金銭面での苦労にほとんど触れられていない。予算を気にすることなく、徹底的に修復作業に取り組んだ、夢のようなストーリーに仕上がっている。

久良岐公園を訪れるのは今回が初めてだったが、大都市・横浜にある公園とは信じられないぐらい、緑深き、環境の良いところにある。横浜市電保存館とバス1本で結ばれているのも都合が良い。

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上大岡でのバスの乗り場が分からずに、ターミナルを小1時間右往左往するなど、久良岐公園に着くまでが大変だったが(←調べずにきた自分の怠慢が原因)、1156号車のふかふかなシートに腰を下ろしていると、その座り心地の良さに、上大岡でのイライラなど、すっかり忘れた。

ちなみに、そのシートは、相鉄7000系の廃車発生品だとか。京急230型を思わせる側面の大きな窓に、背丈の合わない相鉄7000系のシートが覗かせるのは、ご愛嬌だ。

生まれ変わる銀座線、変わりゆく渋谷の街

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先月オープンした渋谷のヒカリエに行き、就役したばかりの東京メトロ1000系を撮影してきた。銀座線は明かり区間は少ないので、撮影出来るアングルは限られていたが、ヒカリエの開業に伴い、新しい構図が得られるようになった。

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1000系に対する東京メトロの力の入れようはすごく、CMを流したり、公式ホームページに特設ページを設け、運用まで公開している。おかげで効率的に撮影出来る。

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01系のデビュー当時を知っている身にしてみれば、01系はいつまでも新型のままで、まるで古さを感じない。それまでの銀座線は、2000型を中心に、一部1700型などの旧型車が交じる編成ばかり。中間車が1500N型で統一された編成に出くわすと、それだけで感激するような、そんな環境だった。室内灯が電車線からの直接給電で、セクション通過時に瞬停していたのは有名な話しだ。

そんな時代的なムードだっただけに、デビュー当時の01系は、アルミボディ眩しく、とても未来的に映り、目を見張ったものだ。

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なので、01系が置き換えられようとしているだなんて信じられない話し。ホームドアに対応しないのが理由のようだが、一方で、新型1000系は、ボディがフルラッピングされ、特に地下区間では暖かみを感じる。個人的には、2000系時代のイメージが強いので、外装にはイエローではなく、オレンジを採用して欲しかった。


車体にフルラッピングをする試みは、地下鉄開業70周年記念として、01系6両編成1本のうち、両先頭車に施されたのが最初の筈だ。ラッピングの耐久性に不安があり、当初は期間を限定することが多かったが、性能が向上し、1000系では、ラッピングがいよいよレギュラーとなった。


ラッピングによる手法は、ボディアレンジの可能性を広げてくれる。方南町支線だけでも良いから、丸ノ内線でも是非、実現してもらいたい。

西武鉄道10000系 “レッドアロークラシック” ほか

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今回は、撮影しておきながら、まだ皆さまにご紹介していなかった画像を中心に、単発の企画に仕立てるほどでもない画像をご覧いただこうと思う。

■ 東京都交通局 花100型
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2011年春に営業終了した7500型を改造した花電車。クリスマスイベントとして、デコレーションされた姿が公開されたので荒川車庫に行ってみた。撮影出来るポイントが限られていて、夕暮れ時の露出条件が悪い中を、人混みにもみくちゃにされながらスローシャッターを切らねばならないという、東京都交通局からの手荒いクリスマスプレゼントだった。

花電車といえば、幼稚園や小学校の送迎会を思わせるような花飾りが思い浮かぶが、現代の花電車は、とても洗練された仕上がりになっている。どなたがプロデュースされたのか知らないが、アイディアものだ。

■ 西武鉄道10000系・“レッドアロークラシック”
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アイディアものと言えば、この企画も同様。ラッピングによって楽しい企画を実現してしまった。アイボリーのみが塗装による表現で、その他の部分がラッピングによるもの。前面のステンレス飾り板もラッピングによる表現だが、質感は抜群。5000系時代のレッドアローが上手く再現されていて、沿線に違和感なく溶け込んでいる。

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余談だが、皆さんのご感想と同様、筆者も、“レッドアロークラシック”の前面イメージが、西鉄2000系に似ていると思う。

■ 伊豆急2100系・“リゾートドルフィン号”
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“リゾート21”に、100系時代のハワイアンブルーのカラーリングを施したもの。企画力は大いに評価したいが、わざわざリゾート21カラーを廃止してまで、この塗装を施す必要があったのだろうか。伊豆半島の自然の中で、冷たく映ってしまうステンレス車体の8000系で行った方が良かったと思う。

■ 小田急7000型・新塗装
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7000型の更新車に施された新塗装だが、今春のHiSEに伴い、7000型は旧塗装に統一されるという。これには肯定的な意見が多いようだが、だったら、更新時に無理にHiSEのカラーリングを採用することもなかったと思う。

塗装とは話しが逸れるが、LSEは更新時にHiSEを意識したメニューが採用された。これは、外観だけでなく内装に関しても同様で、これによって、“Luxury Super Express”のLuxuryとは一体どこへやら、全体的に軽い感じにまとめられてしまった。いっそ、愛称を“Light Super Express”にしてしまえば良いとさえ思う。更新時には、EXEのアコモを採り入れれば良かった。

写真は昨年春の震災後、暫定ダイヤで特急列車の運行が再開されたときのもの。愛称幕が“臨時”なのは、そこに理由がある。

■ JR東日本 キハ35系
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キハ35系はもともと近代的なスタイルで、更新されていることもあり、傍目には古さをあまり感じない。だが、かつての鶴見線(海芝浦支線)のクモハ12型のように、管内の非電化路線にキハ110系が投入される中、久留里線だけは取り残されたかのようにキハ30が継続使用されている。これには、さまざまな事情があるのだろう。しかし、いよいよキハE130系への置き換えが発表された。

今日も列車内で殺人事件! 西村京太郎記念館

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東海道本線は湯河原にある、西村京太郎記念館を見学して来た。

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自分は、中学生の頃、西村京太郎先生の大ファンで、毎週のように文庫本を買っていた。先生の小説がずらりと並んだ自分の本棚を見て、家族や知人に呆れられた。単行本が文庫本になるのが待ち遠しかったのを思い出す。

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知らず知らずに西村先生の作品の影響を受けていて、自分の書いた文章中に「、」が多すぎる…と、国語の先生に指摘を受けたほど(笑)。文節ごとに「、」を打っていました(爆)。

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学校の休み時間など、合間を見つけては貪るように読んでいて、そんな自分の姿を見て、クラスの女子に「怖い!」って言われた。しかし、自分は作品を読みながら、毎回かなりのスリルに怯えており、「怖い!」って言われるのも無理はなかった。今だったら、「休み時間の過ごし方キモイ芸人」にノミネートされていたこと受け合いだ。それぐらい魅力的で、小説の世界に惹き込まれ、読んだ後もしばらくの間、現実を取り戻すことが出来なかった。

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現実には、列車内での殺人事件なんか、皆無に等しいのに、よくもまぁ、そこまでのめり込んだものだと、我ながら感心する(笑)。

特に、列車トリックを用いたストーリー展開は、スリルに怯えつつも毎回楽しみにしていた。年間11作もお書きになるというのだから、素晴らしい。

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その後、ストーリーにトリックが活かされる場面は徐々に減ってきたが、それでも、作品が色褪せることはなかった。なぜなら、十津川警部と亀井刑事の人間味が、リアルに描写され、彼ら登場人物のキャラクターに、読者はすっかり惚れ込んだからである。(館内には、「カメさん」がいる)。

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今は小説を読むことなどなくなったが、西村先生の原作を題材にしたテレビドラマは、今でも視聴し、DVDに保存している。

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さて、記念館だが、2階が展示ホールとなっていて、Nゲージのレイアウトを真ん中にして、西村先生の著書がズラリと並んでいる。レイアウトには、殺人事件の現場が再現され、パトランプのLEDが点滅するといった熱の入れよう。線路も車両も良く整備されていて、どの列車も、走りがギクシャクしておらず、通過する列車の小刻みなジョイント音が心地良い。

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Zゲージのトランクを緊縛しているのは、手錠…。ユーモアだろうか?

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なお、自分が見学した当日は、西村京太郎先生ご本人が、この記念館にお見えになり、希望者にサインをする日で、その姿をお見かけすることが出来た。しかし、自分は人見知りなので、サインや握手をしてもらう勇気がなく、1階の喫茶室で、西村京太郎先生を遠巻きにして、コーヒーとケーキを食べて、記念館をあとにした。

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ところで、外房線に、上総一ノ宮で追い越した普通列車を、その先の勝浦で再度接続してしまう特急“わかしお”がある。“わかしお”が勝浦以南、普通列車に格下げとなるからだ。

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この列車を用いて、トラベルミステリーが書けるのではないかと、外房線に出かけた際、毎度のように本気で考えるのだが、思うだけで、もちろん作品化していない。

そんな才能、ないし…。

それどころか、ここで先にネタバレして、どうする?

国鉄特急色の185系に魅せられて…

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185系の“あまぎ色”がデビューしてから、吾妻線内で是非写したいと思っており、とても楽しみにしていた。ゴールデンウィーク後半に、ようやく念願叶った。

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筆者は、1年の中で、ゴールデンウィーク中の季節が、いちばん好きだ。新緑が眩しく、陽気が心地良く、線路際で何時間待っていても、まるで苦にならない。列車を待つ間、ワンセグを視たりして過ごす。これがまた楽しくて、リフレッシュになる。

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さて、185系の“あまぎ色”は、最初見たときこそ、かなりの違和感を覚えたが、今ではすっかり見慣れた。

それもそのはず。なんてったって、国鉄特急の標準色なんだから…。

過去の慣例から、185系がこの色でデビューしててもおかしくはなかったのだ。

国鉄時代の標準色は、それだけ、飽きのこない良いカラーリングだったことを意味する。


ガキんちょの頃、185系のフレッシュなイメージに虜になった自分が、今こうして、国鉄特急色をした185系を追い掛けるのもおかしな話しだが、とはいえ、ホワイトとグリーンの斜めストライプが採用されていなかったら、185系という電車は、汎用指向の単なる軽装仕様の特急型という位置付けにしかならなかったと思う。


過去のイメージを打ち破った、大胆な斜めストライプが採用されたからこそ、185系は、一度は乗ってみたいと思う、憧れの車両になった。185系導入時に、カラーパターンがあれこれ検討されたのはご存知のとおりだが、とにかく保守的だった当時の国鉄において、新型特急電車のカラーリングを替えてみようという発想が湧き起こったこと自体が、凄いことだったのだ。

そして、その約30年後に、今度は185系に国鉄標準色を塗ってみようという企画が実現した。これもまた、凄いことである。

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大宮の185系は、最近運用数が減ったため、東大宮から出庫することが多く、必ずしもローテーション通りに運用に就くとは限らないようだ。そのため、運用の流れが掴みづらい。しかし、ゴールデンウィーク中は、OM3とOM8編成の運用が片方ずつ固定されたため、撮影は容易であった。「鉄道ダイヤ情報」に、185系の運用表が掲載されたことも、手助けになった。

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いつも接近に気付くのが遅れ、フルハイビジョンによる動画撮影を撮り損ねてばかりいたOM3編成(湘南色)の撮影も、今回併せて行うことが出来て、大満足だ。山にこだまするMT54モーターのサウンドは、いつ聴いても心地良く、鳴り響くホイッスルの音色も高々だ。湘南色編成もまた、直流急行型電車のムードが漂い、写欲をそそられる。

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天気や仕事の都合で、楽しみにしていた割りに、連休中に吾妻線に足を運んだのは、たった1回だけ。しかし、今回は珍しくノーミスで、どれも満足に仕上がった。苦手な線路際の広角のアングルも、列車の通過速度が遅く、自分に味方してくれたので、思い通りにまとまった。表示こそ“回送”だが、国鉄特急には、現代風のトレインマークなんかより、白地のシンプルな表示の方が良く似合う。だから、“回送”でもサマになるのさ。


おっちょこちょいの筆者は、撮影技術力が劣ることも相まって、何かしらの不満が残る結果となるのが常だが、そう毎回、列車のスピードやカメラ性能の所為ばかりにしていられないので、今回はいつもなら重たくて敬遠する大型三脚を抱え、上下ジャージを着て、ドロ汚れなんかものともせず、気合いを入れて臨んだ。

そんな、熱血な筆者の姿を見て、そばにいた同好の人に奇異の眼差しを向けられ(被害妄想?!)、地元の女子中学生にはからかわれたりもしたが、国鉄特急色をした185系にすっかり魅せられてしまった筆者にとって、そんなのどこ吹く風。とても良い5月の連休であった。

ニュースタイル・東急7500型 クラシックスタイル・東急7700系 伊豆スタイル・東急8500系

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本日は,東急の新しい事業用車・“TOQ i”を撮影してきた.

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事業用にも関わらず試運転スジが公開された珍しい例で,先代の7200系電気検測車とは巡り合わせが悪かったため,これ幸いとばかりに,撮影を楽しんできた.沿線はホームエンドを中心に大賑わい!こちらは,ゴールデンウィークの良い思い出になったが,東急関係者の皆さんは,これだけの人出に,果たして,試運転に専念出来たのでしょうか?

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試運転というよりも,デモンストレーションとしての意味合いの方が強かったように感じる.東急の事業用車は従来は改造車によるものが多かったが,今回は新製ということで,“TOQ i”に対して,かなりの期待が込められているのだろう.7500系の図面は,このままローカル私鉄の旅客車に応用出来そう.標準仕様ガイドラインに則った新型車が続く中で,7500型は切妻フェイスのなかなかの正統派で,親近感を覚える.

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この画像をご覧になる限り,後から割り込んできた連中の肩からぶら下がるカバンや,ワイシャツの袖が見切れて,悪戦苦闘しながら写しただなんて,誰が信じてくれるだろうか?夕方になって,一部雹が混じる土砂降りの悪天候に見舞われたことなど,これもまた,誰が信じてくれるだろうか?1往復だけ写して他へ転戦するつもりでいたが,電気検測車のあのドーム屋根にそそられてしまい,“TOQ i”の撮影を優先することにした.各所には,駅員や警備員なども出動し,警戒していたが,目立った事故もなく,マナー違反もなかった.天気にも恵まれ,順光の下で撮影を楽しめた.

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偶然出くわした一般の方も,一緒に撮影していたが,彼らが向けるカメラのほとんどがスマホなのでビックリ!ついこの間までは携帯だったのに,ズラリと並ぶスマホの列に,時代が変わったことを思わせ,目が釘付けになった.
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本日は,“東急ワンデーオープンチケット”を利用して,久しぶりに東急の撮影を楽しんだ.“TOQ i”の他に,池上線の7700系“クラシックスタイル”と,田園都市線の“伊豆のなつ”なども,併せて記録した.

高崎線で185系を撮影

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先日、久しぶりに、185系を写してきた。湘南色だけでなく、この春からは“あまぎ色”が加わったことにより、185系は塗装バリエーションがより豊富になった。これらは、いずれもリバイバルカラーではなく、いわゆる“ウソ電”であるところが、心擽られる。

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場所は、以前らいてふさんの記事で拝見した神保原を選んだ。らいてふさんはお車での撮影なんでしょうけれど、筆者は列車利用。駅から30分ぐらい歩きました。神保原で下車するのは初めてのように思っていたが、歩きながら、14年前に撮影に訪れたことを思い出す。

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当日は、“水上90号”に湘南色が充当される日だったが、現地入りしてみて、“草津32号”に“あまぎ色”が入ることが分かったため、“草津32号”の撮影もここで行うことにして、結局、同じポイントで5時間以上粘った。あいにく曇天で、光線はフラットだったが、それでも、思い通りの構図が得られた。季節が良くなり、線路際で待っているのも、それほど苦ではなかった。単調に見えて、案外リフレッシュ出来た。

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ちなみに、185系を待つ間には、普通列車や貨物列車を退屈凌ぎに写した。211系は、東海道本線に続き、こちらでも置き換えが始まるそうだ。また、貨物列車についても、PF牽引列車はだいぶ減ったそうで、これらも併せて記録出来たのは良かった。PFは、原色が来てくれた。

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横軽廃止から15年、信州方面の特急列車が姿を消して高崎線は淋しくなった印象があるが、このように、今の高崎線は、意外に被写体が豊富であり、退屈しない。

身延山ロープウェイとカチカチ山ロープウェイ

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今回は、富士山の麓、カチカチ山ロープウェイと身延山ロープウェイ、この2つのロープウェイについて書いてみたい。いずれも、富士急行が資本参加している。

まず、身延山ロープウェイ。こちらは、正式商号は身延登山鉄道という。2010年に、親会社と同様、水戸岡鋭治氏によってリニューアルされ話題になったが、設備に関しても、2012年3月に更新されている。

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リニューアルとは聞こえが良いが、ゴンドラを間近で見ると、塗装は手塗りなのか表面がボテボテで、車内は吊革などのアクセサリーが取り替えられている以外は、リニューアルされたという印象を受けない。設備が更新されたと書いたが、車内には「昭和56年武庫川車両」のメーカズプレートが貼られており、ゴンドラ自体は以前のものを継続使用している。これは、営業と止めることなくリニューアル作業を行ったための制約が原因のようだ。

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一方、設備の方は2012年1月から1か月強の間運休して、更新したそうで、原動制御システムが採用され、節電にも対応したそうだ。

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筆者が訪れたのは、ちょうど春のしだれ桜のシーズンだったため、ロープウェイは混雑し、乗車するまでに40分並んだ。これが、山麓の久遠寺と山頂の奥之院両駅でのことなので、合計1時間半近く待たされたことになる。しかし、久遠寺では梅干しのサービスがあり、奥之院では、改札内がみやげ物店となっていて、ロープウェイが到着するまで、列に並ばずに済むため、苛立つことはなかった。

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全長は約1665mで所要7分。ロープウェイとしては、距離も所要時間もやや長い方だ。走行路は山の斜面からかなり高さがあって、窓下を見るとスリルだ。風の影響を受けやすいのか、揺れて、特に下方向へ落ちそうな重力に、何度か手に汗握った。ただ、設備更新後の機材は、この風による影響に性能が対応しているそう。

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午前中は姿を見せなかった富士山も、昼過ぎになってその雄大な姿を現し、ロープウェイと富士山の2ショットを収めることが出来た。季節柄、富士山は最初から諦めていただけに、撮影出来て嬉しかった。山頂からは富士川も見渡せるが、この川を境に、西と東とで電気の周波数が異なるのはご存知の通りで、富士川は他の川にはない性格を併せ持つ。しかし、その川の流れの表情から、周波数云々については、もちろん伺い知ることはない。

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なお、久遠寺の本堂までは287段の急な石段を上がらねばならない。文字にするとそれほど大変なことのように思われないだろう。しかし実際は、本当に急な石段で、普段運動不足の筆者は、太腿は裏側まで筋肉がパンパンになり、心臓は締め付けられて、口から飛び出してくるのではないかと思うぐらいだった。これじゃぁ、まるで運動部の筋トレだわさ。真夏なんか、さぞかし大変だろう。

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だが、実はこの石段を避けるため、久遠寺駅近くにはエレベータが設置されている。エレベータと聞けば、ビルやマンションのそれをイメージするだろうが、身延山の斜行エレベータは、これがまた、ご覧のとおりヘッドライトが付いていて、ケーブルカーや鉄道車両に見えなくもない。惜しむらくは、全体的にのっぺりとした造りで、車内のボタンも、一般的なエレベータと同じである点。もう少しゴツい要素があればなお鉄道車両然として見えるのだが、しかし、あくまでもエレベータなので、そもそも、鉄道車両っぽく見せる必要はない。往路の険しい道のりがウソのように、あっさりと、三門まで戻ってしまった。

このように、身延山は地味に見えて、我々鉄道ファンにはなかなか楽しいところだ。

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ロープウェイの話しから逸れてきたので、今度はカチカチ山ロープウェイに話しを移そう。

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こちらは、全長460mで所要は3分と、発車したらすぐに着いてしまうのだが、何てったって、眼下に広がる河口湖の眺望が素晴らしい。そのため、ロープウェイそのものの観察を忘れてしまいそうになる。

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こちらは、動物のキャラクターが屋根に乗っているなどの演出があるが、前述のように、車窓に恵まれているため、過剰な演出は必要としないと思うのは自分だけだろうか?好みの問題だろうけど…。

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カチカチ山ロープウェイに乗車したのは、昨年のゴールデンウィーク中のことだったが、東日本大震災の影響で自粛ムードだったため、特に混雑もなく乗車することが出来た。5月になると気象条件の影響で、富士山もだんだん見えにくくなるが、当日はどうにかその姿を現してくれた。

このように、ロープウェイも見所は多くあり、あれこれ観察するのは楽しく、ほとんど期待していなかったのにも関わらず、実際に目の当たりにすると、つい、あちこちに目が行ってしまう。

究極の鉄道模型展 in 東京タワー

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東京タワーで開催されている“究極の鉄道模型展in東京タワー”を見学して来た。この夏に横浜に開館する原鉄道模型博物館のオープニングのプレイベントのような位置づけで、個人のコレクションが多数展示されている。

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コレクションは個人の指向なので、日本の車両は、蒸気機関車と関西私鉄が多い。現代の車両よりも、戦前の車両がチョイスされているので、ゴールデンウィークに、子供や孫を連れて見学するには、やや不向きかも知れない。主催者側もこういう客層に予め配慮しているらしく、ガラスに見える展示ケースは、実はアクリル製!実際、幼児が模型を前にバンバン手を叩いたりしているので、この選択は実に賢明だ。

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一方、阪和電鉄の名車・モヨ100型に京阪の“びわこ号”、阪神の“金魚鉢”など、日本の鉄道史上を語る上で欠くことの出来ない往年の名車がずらりと並び、これら車両の輝かしい経歴を知る人にしてみたら、堪らなくて、気が付いたらケース越しに取りつかれたように見入ってしまった。これだけの名車が一堂に揃うのは実物では無理な話し。この圧巻シーンは模型ならではのことであり、とても充実した気分に包まれる。

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展示室は、フラッシュ撮影はNGだが、撮影そのものは制限されておらず、ガラスに反射する蛍光灯の光に悪戦苦闘しながら、カメラに収めた。開館後は横浜でこれらコレクションをじっくり見学出来るだろうから、いま慌てることはない。

The Last Stage

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小田急ロマンスカー10000型・20000型の引退記念イベント。

人でごった返し、見学者抜きの構図が得られないのが予め想定出来たため、最初からあまり期待していなかった。そのため、カメラはコンデジのみと、予め割り切った、暇潰し気分での参加だった。海老名に出向いたのも、最終日の閉場1時間前と、まるでやる気なし。

見学ルート確保のための乗降口のハシゴが装架され、ドアも一部が切放されていたこともあって、期待する編成写真は、案の定、無理であった。感電事故防止のため、パンタが降下したまま、通電されていない。

このことから、営業終了から僅か1週間しか経っていないのに、過去の車両にすら映る。

ところで、印象的だったのが、イベント終了の告知が会場内にアナウンスされたときのこと。

みな、展示車両から離れようとしない。

しばらくすると、車内見学者が捌けてきて、人が途切れる間隔が多くなってきた。窮屈な構図だが、これなら、工夫すれば見学者抜きのアングルが得られる。

しかも、光線はドピーカン。まるで、引退した両車が甦ったかのように美しく照らし出され、最後の最後になって、印象的な輝きを放っている。これでは、誰もがみな、後ろ髪引かれる気持ちになるのも無理はない。

所有のコンデジは、連写後の書き込みに10秒程度かかる代物で、書き込みが行われている時間がもどかしいの、なんの。こういうときの10秒は、長い。

でも、おかげで、HiSEとRSEの並びを最後に収めることが出来、印象的なカットが得られた。会場をあとにする頃には、心地良い充実感に包まれていた。

天竜川の清き流れと、青い119系

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119系のラストランを写すべく、飯田線に行って来た。

119系は大好きな電車なのだが、あまり接点がなく、撮影も乗車も数えるほどしか行わなかった。

特に、2年前に青22号の飯田線色が復活してからは、気になっていたのだが、飯田線全線片道所要6時間以上ということで、飯田線入りしたとことで、青22号のE4編成を捕まえるのは容易なことではないはず…そう思うと、なかなか気が進まなかった。

そうこうしているうちに、119系に最後が訪れてしまった。リバイバルカラーは何度か写しているが、最後にもう一度、写しておきたい。

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撮影地は、東上-野田城間の見通しの利く築堤を選んだ。1列車に対し、数カットが得られる。最後なので、どうしても欲張りになってしまう。筆者はおっちょこちょいなので、上手く行くか不安だったが、列車通過前に何度もイメトレして本番に臨む。反省点がないわけではないが、どうにか思い通りに写すことが出来、満足。東京から5時間、在来線に揺られてやって来た甲斐があった。

119系は、「国電」の中では比較的最後に製作された形式だ。103系や113系などの時代が長く続いたこともあり、119系はいつまでも新しい形式に映る。119系と同世代の201系や203系が淘汰される時代なので、今回の119系の全廃は決しておかしなことではないのだが、残念だ。徹底的に更新された中央西線の103系の前例があるのだから、119系だって、更新すれば今後も10年程度は継続使用が可能と思われる。だが、身延線115系2600番台などと同じく、JR東海は近年の例にならい置き換えを選んだ。見た目にも新しく、そのため、更新なしでの廃車は不思議な感覚がする。

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1両単位での運転が可能な119系は、ローカル私鉄にとって魅力的なはず。119系は、廃車後の活路が見出されても良さそうだが、そのような話しも聞かない。身延線のクモハ123も、これもまた、単行運転が可能な1M電車なのに、解体されてしまった。クモハ123や119系5100番台に、ローカル私鉄が興味を示さないわけがないのに、いずれも、不思議かつ物足りない結末を迎えている。呈示された譲渡価格が高いのだろうか。

復路、西浜松の電留線にズラリと並んだ119系の廃車が、目に焼き付いている。

JR200系新幹線 K47編成・国鉄色

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今回は昨年の初秋に大宮で写した200系新幹線の写真をご紹介したい。

100系や300系新幹線がこの春鉄路から姿を消すこのタイミングに、敢えて200系新幹線を記事にするあたり、筆者のヒネクレ度がお分かり頂けると思うが、E5系が徐々に数を増やしており、200系新幹線も、レール上から姿を消す日は、そう遠くないはず。事実、昨年11月に、200系の東北新幹線定期運用は終了している。

なので、今のうちに記録しておこうと、まだ写したことがなかったK47編成・国鉄色目当てに大宮に向かった。

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だが、やってくる200系充当列車は、どれもリニューアル色ばかり。

よほど巡り合わせが悪いのか、入場券の有効時間との兼ね合いで、カメラを片付けた途端に姿を現したり、踏んだり蹴ったりだった。

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しかも、待っている間には、K47編成なんかよりも、よっぽどキャッチするのが難しい EAST i がやって来てしまうハプニングにも見舞われた。

もうこうなると、こっちも意地。

忍耐や努力が嫌いで、諦めることや現実逃避ばかり考える筆者にしては珍しく、K47編成目当てに、何度も大宮のホームに通った。


そして、通うこと8回目にしてようやく、K47編成を捉えることに成功。構図に不満は残るものの、許容範囲としたい。それより、諦めなかった自分を誉めてあげたい。こうした努力心を、今までの人生、別の場面でもっと活かしていれば、今ごろこんな人生……話しが200系から大幅に逸脱してしまうので、これ以上は触れない。

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閑話休題。更新なしで置き換わる東海道新幹線と異なり、東北上越新幹線の場合、車両のサイクルがやや長く、これが200系には有利に作用している。残存編成は、いずれもリニューアルされアコモ改善されており、客室にいる限りは新系列車と乗り心地はなんら変わらない。物理的な寿命を迎えなければ、あと10年程度は活躍出来そうに映る。

しかし、それは感情論で、前述のようにE5系の増備により、E2系が捻出されることから、200系が全廃される時期も、そう遠くはないはず。

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200系には何度か乗車しているが、いずれも印象は薄くて、思い出がさほどない。これは、旅のプロローグとエピローグに利用することがほとんどだったので、現地での思い出の方が強くて、200系そのものが印象に残りにくかったのだろう。自分は200系の幕引きを、このまま静かに見守ることにしたい。

【乗車ルポ】 ★ 美しい夜汽車の思い出 幾星霜 ~ 寝台特急“日本海”は終着・青森をめざす ~


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大阪から乗車中の寝台特急“日本海”。直江津を出た辺りで日付が変わった。深夜だが、列車は止まること忘れたかのように、走り続けている。(直江津までの模様はこちらをご覧下さい)。


この記事は、上の動画(サウンド)をお聴きになりながらお楽しみ下さい。


翌朝、目を覚ましたのが、鶴岡の手前。ベットの隣人氏が鶴岡で下車するため、車掌さんが起こしにやってきた。肝心の隣人氏はレチさんの呼びかけになかなか反応しなかったが、到着直前にやっと気付き、無事して行った。筆者は事の顛末を見届けた後、すぐにまた眠ってしまったようだ。酒田や羽後本荘の到着は記憶にない。

そして、秋田の手前で寒さのせいで目を覚ました。秋田05:32着。

秋田の発車時刻は05:36発だが、外から仄かに聞こえてくる発車メロディーが、首都圏の各駅で流れるものと同じで、急に現実に引き戻されたような気になった。発車時に、機関車から甲高い汽笛が鳴る。JR西日本管内では鳴らしていなかったが、雪国では必要な動作なのだろう。機関車の甲高いホイッスルなど、最近はめっきり聞く機会が減ったため、風情を感じる。

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動作といえば、JR東日本管内では起動時の衝撃がなく、1ステップずつゆっくりノッチが刻まれながら加速していくのが分かる。駅構内の勾配や気象条件などの違いもあって、単純に比較することは出来ないが、JR東日本管内に入って、衝動は気にならなくなった。もっとも、起動の際にすごい衝動があっても、車内は平穏で、下段の女性は寝息を立てて寝ていた。起動時のショックを気にするのは、筆者ぐらいかもしれない。同じルートを辿る“トワイライトエクスプレス”は自動連結器が密着化されたが、“日本海”は連結器に遊間が残っているのは、“日本海”の24系がJR東日本所属であるところに理由があるのだろうか。

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“日本海”は06:27に東能代、06:53には鷹巣に停車する。「おはよう放送」は06:20、東能代手前で行われた。レチさんは引き続き、JR西日本が担当しているのが、アナウンスの声を通して分かる。東能代からは、「ヒルネ」が行われる。2~4号車の空いている寝台に着席するようアナウンスされるが、ヒルネ利用者は少ないようだ。

大館は07:17着、大鰐温泉には07:47着へと停車していく。この頃になると朝の支度が始まって慌ただしくなる。寝ている人など、ほとんどいない。筆者のベット下段に乗車していた若い女性は、弘前で下車していった。友人同士の会話(イントネーション)から察するに、東北の人のようだ。

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弘前は08:00着/08:02発。下段のベッドが空いたので、ここから先は、下段のベットに座って過ごすことする。“日本海”での睡眠時間は6時間前後といったところだろうか。起きているうちは居住性が悪い上段ベットも、寝るには申し分なく、ぐっすり眠れた。

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大釈迦で701系の普通列車と交換。交換列車はやや遅れていたようだが、“日本海”はここまでほぼ定刻通りに進んできた。降雪などの悪天候による、遅延や抑止など、あれこれ最悪の事態ばかりを想定して乗車の準備を進めてきたが、“日本海”も終着駅が近付き、それら心配はいずれも杞憂に終わりそう。

いざという場合に備え、上段ベットの荷物置き場には、非常品が装備されていた。中身が何なのか知らないが、過去に、“銀河”・“はくつる”に乗車した際は気付かなかった。天候などの影響で、遅延などのトラブルが発生しやすい“日本海”運用車のみに装備されるのか。

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08:38に新青森到着。新幹線の接続駅であるため、接続列車の案内など、放送される内容は多い。アナウンスに用いられる「○番のりば」という表現は、JR西日本管内よりも西の表現で、JR東日本管内で聞くと、どうもしっくりこない。国土交通省は、運転士の他社エリアでの乗務を快く思っていないようだが、車掌は例外のようで、“日本海”は青森までJR西日本のレチさんが担当する。今では、在来線の長距離列車が削減が進み、“日本海”のような事例は少なくなった。他社エリアのオレンジカードを手に入れるため、長距離列車の終点駅で、乗り入れてきた長距離列車の車掌さんからオレカを求めたことなどもあったが、オレンジカードと共に、思い出に変わりつつある。

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青森から14時間58分、08:45に“日本海”は定刻通り青森駅に到着した。

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前日の天気予報で日本海側が悪天候に見舞われると予報されていたので、定時到着は、正直言うと期待を裏切られた感じがした。しかしこれは、冬季でも列車の定時性が証明されたという見方もでき、40年以上も沿線の支持を受けてきた“日本海”の、信頼性の高さを物語っている。今回“日本海”は季節臨化されることになったが、北陸新幹線金沢開業時までは、定期列車のまま運行されると考えていた。なぜ、このタイミングで季節臨化なのか、理解に苦しむ。

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コンビニだけでなく、大型スーパーも一部が24時間営業する時代。深夜帯の日本人の動きは、昔に比べて活発化しているわけで、豪華列車“トワイライトエクスプレス”よりも、“日本海”のような、「普段着」の、気軽に利用出来る夜行列車は、むしろ一般からもっと支持を集めても良さそうに思う。「時代の流れ」のひと言で片付けてしまうのは早計で、“あけぼの”に見られる「ゴロンとシート」の導入など、利用促進の方策がとられても良かったのではないかと思う。しかし、車両と運転の管轄が異なるなど、“日本海”特有の事情もあって、現実的ではないのか。

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青森に着いて、反対ホームに渡って機関車側から編成写真を写そうと思ったが、早々と機回しされてしまった。大阪方には入換用のDE10型が連結され、“日本海”は運転所へと引き上げて行った。長編成をDE10型が牽引していくその姿は、充分サマになっていて、単なる入換列車には見えない。客車列車が希少価値になった今では、入換列車すらも堂々とした1つの列車として映る。

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雪に照らされて美しい“日本海”を、青森駅構内、見えなくなるまで見届けた。

【乗車ルポ】 ★ 美しい夜汽車の思い出 幾星霜 ~ 寝台特急“日本海”の夜 ~

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ずっと“白鳥”に乗りたいと思っていた。日本海縦貫線の。

“白鳥”なきあと、その思いは、同じルートを辿る“日本海”へと変わった。

いつか乗りたいと思っていた。

2012年の年始には、“日本海”に乗る条件が整いそうだったので、準備していた。

だから、自分は決して葬式鉄なんかではない。乗車のタイミングが、たまたま廃止報道と時期が重なっただけだ。強がりではなく、本当に、そう。



この記事は、上の動画(サウンド)をお聴きになりながらお楽しみ下さい。


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“日本海”はB寝台車と、今では珍しい開放型A寝台車による編成。食堂車はもちろん、ロビーカーやラウンジすらない。冬だから良いが、シャワーを浴びることも出来ないので、乗車前に新大阪の温泉施設で入浴を済ませておく。この時点で、気分はすっかり旅ムード。駅弁にお菓子を用意して乗車に備える。気が早いのか、時間を持て余してしまい、構内の喫茶店で時間を潰す。元日なので、開いているお店は限られていた。お店の造りは東京と変わらないが、カウンター両サイドの隣人が、自分に気さくに話しかけてくる。東京在住の筆者にとって、旅の始まりはいつも東京だが、今回の旅は、いつもと違う。

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そう、大阪から始まる。

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“日本海”の大阪駅入線は発車の6分前とやや慌ただしい。本当は、編成の前から後ろからの写真を撮りたいが、旅支度に駅弁が加わり機動力が劣るため、機関車側からの撮影は諦め、編成後部から客車側を写すだけにした。カマ側には、多くのファンがスタンバイしている。11番線には特急“サンダーバード35号”が在線中で、なかなか“日本海”が見通せない。


ひととおり撮影を済ませ、列車に乗り込む。これから1000kmを超える旅のスタートとは思えない、気忙しい始まりであった。

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上段にある自分のベットに上がる頃には、列車は起動し、車内アナウンスも始まっていて、録音ファイルのハイケンスのセレナーデ、頭の部分が欠けてしまった。詳しい案内は、新大阪発車後に行われたが、その際にはハイケンスのセレナーデが鳴らない。8両編成で、前から10号車・9号車の順で最後部が1号車、8・7号車は欠車であることが伝えられる。年末年始期間中なので欠車は意外だったが、元日は需要が少ないのか。旅客案内上の編成両数とは別に、もちろん、電源車と機関車も編成に組成されているため、この日の“日本海”は10両編成だ。

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アナウンスの録音が終わると、荷物の整理。車内で使う物をあれこれ並べていたら、荷物にベットの5分の1を占有されてしまった。ただ、その都度バックから取り出すと、特に深夜など、周囲の乗客に迷惑がかかるので、使う物は予め取り出しておいた方が良い。寝静まると、ビニール袋のガサガサ音だって気になるものだ。

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「ベットの5分の1を(荷物に)占有されてしまった」…と書いたが、決して大袈裟ではない。冬季の日本海側は悪天候に見舞われ、“日本海”は大幅遅延などの影響を受けることが多い。そのため、駅弁やお菓子類を多めに買っておいたからだ。寒くて困ることがないよう、使い捨てカイロも大量に買い込んでおいた。結局、当日の“日本海”は定時運転で、定刻に青森駅に到着したため、余計に買い込んだ分は、いずれも余計なままで終わってしまった。でも、あれこれの場面を想定し、それらに備えようとする、その行為は、案外楽しい。

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新大阪を出ると、レチさんが車内改札にやって来た。カーテンを閉めていたので「11番上段様~」と呼びかけられるが、聞き慣れない二人称に戸惑いを覚える。親切なレチさんで、近くの人があれこれキップを選別していると、「よろしかったら、袋ごと(キップ入れ)お預かりしますよ~」と言っているのが聞こえた。親切だ。食堂車やロビーカーなど、ベットの他に付加価値がない“日本海”だが、クルーのこういうソフト面で、列車の旅の印象が大きく変わる。

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京都から乗車した隣人は、翌朝鶴岡で下車するようで、レチさんに起こしてくれるよう、お願いしていた。鶴岡着は翌朝の03:35着。翌朝の話を先にしてしまうと、レチさんは約束通り、鶴岡到着20分ほど前にやって来て、カーテン越しに隣人に声を掛けていた。ところが、隣人はなかなか起きない。レチさんは、隣人氏のカーテンを開けるわけにはいかないようで、「困ったナ」…と漏らしつつも、根気よく、「12番上段様~」と何度も呼びかけた。数分して、隣人氏がようやく気付いたようで、レチさんの「12番上段様、鶴岡、あと10分ですよ」の言葉に、大慌てで下車していった。一部列車では車内改札が省略されるなど、現代は省力化の時代に、久しぶりに、列車内でヒューマンなやり取りを見たような気がする。

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京都18:20着。B寝台の上段には窓がないので、いつもの大阪-京都間とは、また違った行程に思える。カーテンから顔を出せば、通路の窓が見えなくはないが、ずっと顔を出しているわけにも行かない。旅の進み具合は、サウンドだけが頼り。LED案内表示器などないし、今どこを走っているのか、進み具合を自分できちんと刻んでおかないと、位置関係が分からなくなる。

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それほどお腹が空いたわけではないが、他にやることがないので、駅弁を食べる。乗車前に大阪駅のホームで買った“こてまり弁当”。和風の上品なお弁当で、天ぷらは自分好みの塩を付けて食べるタイプ。退屈しのぎに食べたにしては、食後は心地良い充実感に包まれた。

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近江塩津で19:21着/19:27発と6分間の運転停車。ここで特急“サンダーバード37号”を退避する。だが、運転停車について何もアナウンスはなく、何事もなかったかのように、列車は動き始めた。“サンダーバード37号”は大阪を“日本海”の25分後に発車し、京都でその差を19分にまで縮め、敦賀には6分先着してしまう。「特急」が「特急」に追い抜かれるのだから、寝台特急“日本海”の立場はないが、急ぐ旅ではないし、車中の誰もが気にしていない。「特急」が「特急」を追い抜く……サスペンスのトリックに使えそう。

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敦賀が近付いた辺りで、編成後部に行ってみる。ブルトレはご存知のように緩急車から後部展望ができる。運転所には用途廃止になった419系が見える。敦賀では、2日前に“日本海”を駅構内で撮影した。雪が積もり、心底寒い中で列車を待ったのだが、“日本海”のことで頭はいっぱいで、寒さを忘れていたけれど、いま、こうして暖かい車内から外を見ると、外はやっぱり寒そうだ。

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大阪を出てまだ2時間だが、ベットにいると時の流れは遅く、もっと長い旅をしたかのような気がする。敦賀19:41着/19:43発。終着の青森までまだ13時間もある。でも、退屈なのは覚悟の上でこの列車に乗ったんだ。天気予報だと、日本海側の天気は悪くなるそうだが、列車は今のところ定刻で走っている。

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福井は20:25に到着し、20:26に発車。時刻表上では僅か1分の停車時間に見えるが、客車列車なので、レチさんとウテシさんの間で無線交信を行なってからの起動となる。スローモーと言ってしまえばそれまでだが、客車列車ならではの流儀で、風情すら感じる。

福井の次は加賀温泉。20:52着。加賀温泉が近付いた辺りで、車内を探索する。

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デザイナーを起用した、まるで列車内であることを感じさせない造りの車両が多くなってきた昨今、24系客車の車内は、機能的というかとても無機質に映る。特に、車両によっては、顔を洗うのにボタンを押し続けなければお湯やお水が出ず、思うように顔を洗えない洗面台があって、難儀した。一度、シンクにお湯を張らなければならず、不便だ。筆者が乗車したオハネ24-7は白帯車で、アコモ改善されていないところに理由があるらしく、金帯車の洗面台は改善されているようだった。

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ところで、冷水器の設備が今でも残っているのには、逆に目新しさを覚えた。いつの間にか消えてしまったこの設備も、以前は優等列車には当たり前の設備だった。実際、乗車前に温かい飲み物ばかり買い込んだは良いが、車内の暖房はとてもよく効いていて、冷たい飲み物が欲しくなったので、冷水器のお水は有り難かった。

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車内暖房も、国鉄時代の設計ならではの、とてもよく効く、堅実なタイプで、温々とした心地良さは、新系列車両に見られる、座っていてお尻だけが温かい暖房器には真似の出来ない芸当である。今ではすっかり固定窓が主流だが、24系の設計時には、固定窓だとあれこれ不安があったのか、ガラスを割るためのハンマーが備え付けられているあたりに、時代を感じる。

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加賀温泉に到着。ここで後続の特急“サンダーバード39号”を退避する。ただし、近江塩津と異なり客扱いが行われ、ホームに出ることが出来る。ホームでは、たばこを吸う人、自販機で飲み物を買う人など、みな、僅かな停車時間を楽しみにしていたかのように、ホームに出た。中には、備付けの浴衣姿のままホームに出る人もいる。遠慮するよう、アナウンスされていたのにもかかわらずである。それよりなにより、真冬でっせ…。浴衣のままじゃ、寒いでしょ?

自分も、自動販売機で冷たい飲み物を買う。車内が暖かくて、冷たい飲み物が欲しくなった。

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そして、先頭に行ってみると、多くの人がEF81を写真に収めている。一般の方が記念撮影したりして、なかなか思うように行かない。通過列車に向かって、フラッシュを放つ無遠慮な輩に閉口する。結局、あっという間に発車時刻となり、近くのドアから車内へ戻る。5分は長いようで短かった。

加賀温泉の5分停車という「ビックイベント?!」が終わり、いよいよ“日本海”の車内でやることがなくなった。大人しくベットに戻ることにする。

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半数以上のカーテンは閉まっているが、室内灯はまだ明るいままで、横にならないでいる人も多い。B寝台車には更衣スペースがあるが、備付けの浴衣に着替える人は少ない。ジャージやウィンドブレーカーなどのスポーツウェアを着ている人が多い。着替えずにそのままの姿で寝ることが出来るし、途中停車時間がある駅でホームに出る場合などもそのままで行けるので、便利そうだ。こうしてみると、みな、“日本海”に乗り慣れているようだ。

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退屈になってきたので、ベットでパソコンを広げドラマの動画を観る。“日本海”の車内で観ようと、ドラマをノートパソコンに転送してきた。車内はとても静かで、カーテン1枚でしか仕切られていない開放式の空間であることを忘れさせてくれるほど、プライベートが確立出来ている。

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ベットで大人しくしていると、なんだか少しだけスースー寒く感じ、足下に使い捨てカイロを貼る。たくさん着込んできたし、先ほどまで国鉄型車両の暖房器を誉めていたクチなのに、なぜだか足下だけが心もとない。布団に入ると、そのまま朝まで寝入ってしまうのではないかという懸念も、杞憂に終わりそう。加賀温泉を出てしばらくすると、雨が降り始め、金沢近くではその降りが強くなってきた。車窓は利かないが、ベットの上段にいると、屋根が近いため雨の強弱が案外容易に分かる。まるでトタン屋根を想像する。翌朝、青森駅で自分が乗った車両の屋根を見たら、何箇所か継ぎ接ぎされていた。

金沢には21:29着。パソコンで視聴中のドラマに見入ってしまい、列車の中にいることさえ忘れていたが、特徴ある音色の発車メロディーが微かに聞こえてきて、思わずハッとさせられる。21:31に“日本海”は金沢を発車した。

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しばらくすると、車内は段階的に減光し、「おやすみ放送」が流れる。次の停車駅・高岡の到着時刻が22:02着なので、高岡を1日の区切りにしても良さそうだが、考えてみれば“日本海”の高岡乗降客数は恐らく数人程度のはずで、車内アナウンスの必要性はないのだろう。大阪からカーテンにマイクを固定して、車内アナウンスをずっと録音してきた。アナウンスがいつ流れ出すか分からないため、駅到着の数分前から、スピーカーの前でずっと張っている必要があったが、お休み放送をもって、しばらくその緊張から解放される。高岡では起動時に、すごい衝動があって驚いた。

高岡の次は富山が22:18着/22:20発、魚津に22:39着/22:40発と、富山近郊の各駅に停車していく。個人的には、この3駅の停車駅を富山に集約すれば良さそうに思うのだが、“日本海”は、日本海沿いの皆さんに必要とされている列車であり、需要は案外あるのかもしれない。そして、23:20に糸魚川に停車するのだが、糸魚川における時刻表上の発着時刻は同時刻で、停車時間が最小限に切り詰められるようになる。糸魚川の次は直江津だ。
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直江津は23:50着/23:57発と、7分間の停車時間があり、これもまた道中の“目玉イベント”?!として楽しみにしていた。

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では、その直江津で、ホームに出て何をしたかといえば、編成後部の写真を専らパシャパシャ写しただけ。今にして思えば、7分もあったのだから、ホーム反対側からの写真や、機関車側からなど、あれこれ写せただろうに、せっかくの機会を活かすことなく終わった。

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“日本海”は直江津を発車。深夜0時ということで車内は静まりかえっている。自分も寝ることにした。

美しい思い出の続きはこちらをご覧下さい。

785系300番台

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先日、青森に行った際に駅構内に偶然入線してきたのが、珍車・785系300番台。

2両1ユニットのみしか在籍しないため、函館や青森に行く機会が滅多にない筆者は、まず巡り会えないまま北海道新幹線開業を迎えてしまうだろうと思っていた。なので、偶然に意外にあっさりキャッチ出来たときは、拍子抜けしてしまったくらいだ。筆者は、珍車やイベント編成との巡り合わせが悪く、振り回されることが多いため、785系300番台の記録は叶わぬ夢だとさえ思い、諦めていた。

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785系300番台は、789系の増結ユニットとして、余剰車を整備した車両。789系とは形状がまるで似ていなく、そのままでは、凸凹編成にみえるであろう。しかし、ブロック塗装がゆえのカムフラージュ効果なのか、編成美は案外悪くない。

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北海道新幹線の新函館開業を数年後に控えた今、津軽海峡線の在来線特急・“スーパー白鳥”に対する設備投資を抑制したいJR北海道の気持ちは良く分かる。だが一方で、“スーパー白鳥”は、ピーク時には大変混雑し遅延が発生するのも事実で、「新幹線開業までの我慢」のひと言で片付けることなく、改善して欲しいと思っていた。

そのため、凸凹編成だろうが異形式混結だろうが、たとえ2両でも輸送力を増強してくれた、JR北海道の姿勢に感謝したい。

弘南鉄道弘南線

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弘南鉄道弘南線に乗ってきた。大鰐線は4年前に乗車済みだが、弘南線は未乗のままとなっていた。大鰐線と同じで、やはり東急の7000系が幅を利かせている。

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東京の私鉄を走っていたステンレス車ということで、雪国では、特に冬季の暖房性能などに不安があるが、車内は温かくて心地良い。初めて乗る路線なのに、心地良さに誘われて、思わず、コクリコクリしてしまった。東急譲渡車のお約束で、吊り手に、東急百貨店の広告が残る。スッカラカンなことが多いローカル私鉄の中吊り広告だが、弘南線の車両は広告枠が埋まっていて、車内はなかなか活気が感じられる。

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ステンレスボディの魔術に欺かれた、まばゆい外観と違い、車内は一部で老朽化が見られる。ただ、これらは部品を交換すれば美しく甦ると思われる。東急7000系は登場から50年になろうとしているが、地方私鉄譲渡車は室内の更新がされていない。水間鉄道7000系のように、更新され1000系として再デビューした例もあるように、今後も継続使用するのであれば、更新時期に到達していると思われる。

弘前東高前-運動公園間では、時速15km/h程度のゆっくりした速度で進む。それが、運動公園を過ぎると、速度はかなり上がり、車内は揺れる。

新里駅には蒸気機関車が設置されているのが見えた。青森県の日本海側・鰺ヶ沢町から運ばれてきた48640号だそうで、訪問した1か月ほど前に運ばれてきたばかり。特に意識したわけではなかったが、タイミングが良い。一方、田舎館付近に保存されているキハは、あれよあれよという間に通過してしまい、じっくり見ることができなかった。蒸気機関車と気動車の保存車は、いずれも写真に納めることが出来なかったのが残念。

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館田で上り列車と交換。平賀は検車区があり、駅構内もなかなか立派だ。検車区といえば、大鰐線と弘南線の線路が接続していないため、検車機能を1か所に統合出来ないのは、不合理に映る。なぜなら、両線の起点がいずれも弘前であるからだ。そのターミナルがお互い離れていなければ、両線の線路は接続していたであろう。

弘前から約30分。列車は終点の黒石に到着した。

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黒石では、かつて弘南鉄道黒石線と接続していたが、20世紀も終わりに近付いた1998年に廃止されている。黒石線は国鉄転換路線で、黒石駅は国鉄と弘南鉄道とで離れていたが、弘南鉄道化の際に、弘南鉄道黒石駅に統合された。構内には、気動車の検修設備が今でも残っているが、これまた、気動車のメンテナンスは黒石で行っていたようで、平賀の電車検修設備と統合しなかった点、不思議に思う。庫内に機関車が1両見えた気がするが、それとは別に、庫外にキ100と連結したED33がスタンバイしていたので、あるいは見間違いかもしれない。

ところで、そのキ100とED33を熱心に写すファンがいた。積もる雪などお構いなく、深い雪に足を突っ込んで撮影していたのは恐れ入る。

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なぜなら、その熱心なファンが、なんと女性だったから。銀座や原宿にいるような普通の女性で、家族を連れていたわけでもないので、誰かの影響でファンになったわけでもなさそう。こっちは、雪が積もっているし留置中の車両だからと、コンデジで撮影を済ませたのに対し、彼女は一眼レフで撮影しており、気合いを感じる。女性運転士や車掌が珍しくなくなった昨今、驚くようなことでもないのだろうが、思わず口をあんぐりさせてしまった。筆者が高校生ぐらいの頃まで、鉄道ファンと言うだけで、変な眼差しを向けられ、クラスや周囲に鉄道好きであることを告げることさえ憚れるような環境だったのに、今では鉄道趣味がすっかり市民権を得たことを、改めて思い知る。

Debut! 富士急行6000系

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2月末に富士急行6000系が営業を開始した。JR205系がタネ車で、205系初の譲渡例である。

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しかし、富士急で再起するにあたって、有名なデザイナー・水戸岡鋭治先生の手によって、205系が持つ機能性を追求しつつも、好感ある車両へと、美しく変化した。

そのため、205系は、JR時代のイメージを完全に払拭した。

いや、違う。

今まであまりにもシンプルで単調だった205系だが、水戸岡氏が205系の個性を、最大限に、魅力あるものへとクオリティアップしてくれた…というのが適切かもしれない。JR九州の485系を“RED EXPRESS”にリニューアルされたときのように、古い車両を、まるで新形式のように、美しく、今までとまるで違う車両へと甦らせる水戸岡氏の手法には、恐れ入る。

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特に、485系は先頭部を中心にそれなりの造形美が感じされる意匠であるのに対し、205系といったら、国鉄初の量産ステンレス車ということで、「ステンレス加工時を意識して、余計な面取りを一切省きました」…というデザインである。ブラックファイスと額縁部分に多少の意匠が感じられるが、ステンレスボディのあまりにも機能的な全体のムードにすっかり埋もれていて、「デザイン」として映らない。

そんな、無味乾燥な205系。

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引き出したくたって、引き出せる個性など全くなく、ラインカラーのテープを2本入れただけの、デザイン的に面白味のなかった205系のイメージが、まさか、こんなに変わるとは。よくぞ、ここまで素晴らしい車両に仕立ててくれたと思う。

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デザイナーの立場からすれば、今までの205系があまりにも単調だったので、先入観などなく、逆にやりやすいのかもしれないが、ネットで目にする、甲種輸送中や富士急入線後の改造中のタネ車の姿は、ステンレスボディもその輝きを失っていて、至るところに目隠しのテープなどが貼られていたこともあり、正直、6000系のデビューにはあまり期待していなかった。

だが、デビューした6000系のその姿を見て、想像とは違うその仕上がりに、思わず唸らされてしまった。就役した週末、早速大月に足を運んだ理由も、そのあたりに理由がある。正直、水戸岡氏のデザインは、JR九州のイメージが強いため、他ではやや食傷気味で、“富士登山電車”がデビューした際など、あまり快く感じなかった。しかし、今回の6000系のデザインは、個人的に好感が持てる良いデザインに映り、水戸岡氏に対するアレルギーが消えた。

当日は、小雨まじりの曇天だったが、近いうちに、今度は晴天のデーライト下で見てみたい。

リメイク・157! 185系国鉄特急色

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大宮区に所属する185系200番台・OM8編成が、157系を意識した国鉄特急色に塗装変更され出場した。筆者はこの企画を知らなかったので、その姿を初めて速報で見た際、てっきり“ウソ電”だとばかり思い、信じられなかった。

“ウソ電”は“ウソ電”なんですけれど、この場合は“リアルウソ電”。ウソ電”が実現してしまったわけだ。筆者は、こういう企画には目がなく、3か月ぶりに一眼レフを持って沿線に出かけた。

東日本大震災で大規模な被害を受けたJR東日本が、こういう遊び心をもつ余裕を取り戻してくれたことは嬉しい限りで、おかげでこちらまで、気分が明るくなる。

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157系風塗装のこの編成は、3月3日に“上州踊り子”、3月3日・4日に“あまぎ”に充当された。特に大宮区の185系が、伊豆方面への入線すら珍しいことで、157系風塗装が伊豆の海をバックに走るシーンが実現したことも、特筆に値する。ぜひ、海と絡めて写してみたかったが、天気が悪くて断念した。

157系風塗装のインパクトが強かったため、埋もれてしまったが、“あまぎ”(列車)がさり気なくリバイバル運転されたことも注目したい。

“上州踊り子”は、昨年の春に設定されておきながら、計画停電の影響で実現しなかったもの。当時、湘南色のOM3編成が伊豆方面に入線するということで、筆者は楽しみにしていた。震災の影響では仕方がないと諦めていたが、まさか、1年後にこのような形で実現するとは思っていなかった。こちらは天気に恵まれ、順光という最高の演出のもと、最高の役者によるステージが用意され、見ているだけで心躍る。

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西武鉄道の“レッドアロークラシック”や、伊豆急行の“リゾート21”によるハワイアンブルー塗装など、最近は“リアルウソ電”の企画が続いている。良い傾向で、リバイバル塗装とはチト意味の異なるこの楽しい企画が、ブームを巻き起こしてくれることを願う。個人的には京成AE100型による“初代スカイライナー塗装”や、東武100型スペーシアによる“DRC塗装”などの実現を期待している。



185系は、高崎線系統の特急列車削減など、その仕業が減りつつあるが、“湘南色”のOM3編成に、“踊り子色”のA8編成、それに今回の“157系風塗装”がラインナップに加わり、楽しい話題を提供してくれている。今後も、期待に応えてくれそうな勢いすら感じる。定期運用では実現しない、“踊り子色”と“157系風塗装”の併結シーンを期待したい。

いまさらですが… 御存知でしたか? 小田急20000型ロマンスカー・RSE車のひみつ

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もう間もなく小田急で廃車になろうとしている、20000型ロマンスカー・RSE車だが、実はあまり知られていない季節による仕様の違いがある。

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それは……車体下部にある冷房の通風口。

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↑↑↑ 2か所とも塞がれた状態(1999/03/04), ↑↑ 片側のみ(1999/05), ↑ 冬季にも関わらず2か所ともルーバー(2012/01)

今は通年ルーバーとなっているが、当初は、冬季には通風口にフタがされていて、季節ごとに交換されていた。比較しづらい写真で恐縮だが、端境期には上の写真2枚目のように片側だけルーバーになるなどの形態が見られたが、2000年代半ばから冬季でも交換が省略され、ルーバーのままの姿で運用されている

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↑ 運転台後ろ戸袋窓がルーバーだった旧4000系(非冷房時代) 冷房改造される数年前の写真で,この当時は既に,冬季におけるガラス窓への交換が省略されていた

このルーバー交換。実は小田急のお家芸で、古くには、非冷房時代の2600系や2400系などの通勤車において、運客仕切直後の戸袋窓がやはり、冬季以外はルーバーがはめられて、空気の循環が悪いこの部分の環境改善が図られていた。これもまた、当初は冬季にはルーバーをガラス窓に、季節ごとに交換されていたが、次第に交換が省略されるようになり、通年ルーバーのままとされた。このあたり、20000型・RSE車も当時の通勤車と同じ保守方法を辿っている。

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↑ 甲種回送されてきたばかりのRSEを,海老名検車区まで見に行ったときのもの まだ営業開始前(1991/01)

当初、筆者はこのルーバーは主電動機のための通風口だと思っていた。冬季御殿場線内において、メインモーターが雪を巻き込むのを防ぐために設置されていると考えていたが、後に、床置式冷房の通風口だと分かった。同じ構造のHiSEもやはりこの箇所に冷房が設置されているが、ルーバーも点検蓋もない。恐らく、RSE車ではHiSEでの結果を踏まえ、メンテナンス性を考慮して設置されたのだろう。

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RSE車は、小田急で廃車後に富士急への譲渡話があるようだが、もし実現すれば、“フジサン特急”のキャラクターをボディに描く際、このルーバーが支障しそうだ。譲渡が実現した場合、はたしてこのルーバーはどのように扱われるのか、今から興味がある。

東急車輌

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土曜日、鉄コレ・東急6000系目当てに東急車輌へ行かれた方、寒くて大雨が降る悪天候の中、朝早くから並ばれたそうで、大変お疲れ様でした。中には、それが原因でお風邪を召された方もいらっしゃるそうで、本当に大変でしたね。

かくいう筆者は、鉄コレには興味がないため、午後に行ったのですが、その頃には、雨はすっかり上がって、気温も上がり、寒い思いをせずに済みました。商品販売はどのブースも空いていて、列に並ばずに済みましたし、保存車両を写すのもまた同様でほとんどストレスなく写すことが出来ました。

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しかも、デハ5201号には午前中は装着されていなかった、種別板と行先表示板が入り、最高の状態を記録することが出来ました。デハ7052号と共に保存されているデハ5201号は、前照灯に急行灯、室内灯まで点灯していて、まるで営業車両のよう。デハ7052号の運転台から、ワンハンドルのコンソールが覗かせるのはご愛嬌で、こどもの国線時代のままなのでしょう。

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このように、各種グッズには興味がなく、普段、構内にカメラを向けることすら禁じられている、東急車輌の見学が目的だった筆者にとっては、またとない、良い機会でした。

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御存知のように東急車輌は、今年の3月で東急グループの資本関係から脱却することになっている。ここ数年、さまざまな業界で再編が見られたが、JR東日本の東急車輌買収劇ほど驚いたことはなく、夢にも思ったことがなかったので、最初は信じられなかった。

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JR東日本の傘下になった後は、はたして、この横浜工場を見学する機会は得られるのだろうか。日本の鉄道車両に与えた功績は大きくても、JR東日本の立場からすれば、会社として保存する意義がほとんどないデハ5201号・デハ7052号の今後の処遇と併せて、今後の方向性が気になるところだ。

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方向性といえば、東京急行電鉄本体の車両の動きも、今後の動きが見えない。経営不振気味だったグループ内の製造会社を今後は支える必要がなくなるわけで、資本の投下(短期・中期)は、副都心線直通事業や渋谷の再開発に集中すると思われる。なので、東急各線の車両は以前のように、ステンレス車は更新して半永久的に使用していく方針を選択するかもしれない。となれば、タネ車の製造から50年が経つ7700系は今後も使用が継続され、一方で新5000系シリーズや新7000系の増備は、このあたりで区切りを打つのではないか。

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そうなると、今度は、地方私鉄に供給出来るステンレス車両が枯渇してしまう恐れがある。東京急行電鉄が、ステンレス車のイメージを気にする必要がなくなるので、リユースに消極的になるほか、譲渡時の価格が上昇することだって考えられる。これによって、地方私鉄は、中古車を安価に入手出来る機会が減り、最悪の場合は、「代替車両の確保が難しいため路線廃止」…というケースに至ることも想定される。上田電鉄や伊賀鉄道のように、近い将来東急1000系で車種統一を夢見ていたであろう会社は、思い描いていた夢を果たせずに終わり、秩父鉄道や長野電鉄は、置き換え用の車両を新たに必要に迫られる。

このように、JR東日本の東急車輌買収劇がもたらす影響は、東急からの車両供給に依存している地方私鉄にまで及び、その範囲は意外と大きい。

583系 急行“きたぐに”

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恥ずかしながら、未だかつて583系に乗ったことがなかったので、いつか乗りたいと思っていた。




この記事は、サウンドファイルをお聴きになりながら、ご覧下さい。


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だが、583系の定期運用は“きたぐに”だけで、大阪ー新潟という運転区間は、東京在住の筆者には、どこに旅行に行くにも、その行程に組み入れにくいものであり、なかなか乗車する機会がなかった。

581・583系はご存知のように、近郊型化改造された719系・419系が存在し、これらには何度か乗ったことがあるため、583系本来の姿を味わうことが出来ないままでも、仕方がないかと半ば諦めていた。

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ところが、新年に関西を訪ねる機会があった。そこで宿泊地に大津を選び、大津―大阪間だけでも、“きたぐに”に乗車することにしたのである(502M・大津06:08―大阪06:49)。

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乗車は自由席にするとして、大津駅で乗車券と急行券を求める。急行停車駅ということで、自動券売機に急行券のメューもあるのかと思っていたが、ボタンが見当たらず、窓口で買い求めた。

入線シーンを動画で撮影し、列車に慌ただしく乗車する。ただ、自由席車はどこも満席。1ボックス2人程度ずつ埋まっていて、整理すれば空席が出来そうなのだが、夜行列車ということで、みな、窮屈な座り方を当然敬遠する。京都までは立って過ごす。京都では降車が多く、座席にありつけた。

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“急行”の種別は営業施策上のもので、“きたぐに”は“急行”とは言うものの、速達性が求められた列車ではない。そのためスジには余裕があるようで、京都からも、新快速列車のそうな鋭い走りは見られなかった。101系のギアレシオを流用した419系と異なり、583系の加速は重いトーンで、国鉄特急型電車独特の唸りだ。筆者がJR線上の“急行”に乗車するのは、“銀河”に乗ったとき以来だから、9年ぶりだ。

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40年以上の経年車ながら、良く整備されており、目を覆いたくなるような痛々しい部分はまるで見られなかった。これは、583系の定期仕業が“きたぐに”1往復のみと、ゆとりのある使い方をされていることも、プラスに作用しているのだろう。室内の暖房の効きがすこぶる良く、この心地良さは最近の新系列車では味わえない芸当である。冬は少しの隙間風ですら気になるが、583系の、温もりのある車内が心強い。

乗り心地はすこぶる良く、振動は少しも感じない。ただ、音の発生源が特定出来なかったが、ガタガタ…という金属板が何かに当たる音がして、やや気になった。

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車窓がだんだん明るくなる。乗客のほとんどは新大阪で下車してしまった。早朝の列車だというのに、到着前には接続列車の案内がなされる。

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6:49、“きたぐに”は定刻通りに大阪駅に到着した。僅か41分の乗車では、583系が持つ本来の姿を知ったことにはならないだろうが、筆者が583系に乗車するのは、これが最初で最後になるだろう。そう思うと、僅かな区間でも乗車出来て良かった。

【余談①】 冒頭に貼り付けたサウンドファイルは、“きたぐに”の大阪駅到着時のもの。ただ、アナウンス中には、期待していた「今日も急行“きたぐに”にご乗車下さり…」のフレーズが全くなく、他のどの列車のものと思われても仕方のない、記録としては物足りないものになってしまった。

【余談②】 こちらの記事にあるとおり、筆者が急行“きたぐに”に乗車した当日、偶然にも、同じ列車にらいてふさんがご乗車になっていたそうで、びっくり! 世間は狭い…

【乗車ルポ】 房総ローカル113系 外房線最後の1往復

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2011年8月27日、千葉駅。これから17:18発の外房線277Mに乗り、勝浦まで往復する。

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今まで数え切れないほど乗車してきた外房線の113系だが、8月末で定期運用を終える予定になっており、筆者にとって、この日の勝浦往復が、最後の外房線113系となる。そう思うと、感慨深い。いつも蘇我から乗ることが多かったが、最後の1往復をじっくりと味わうべく、始発の千葉駅から乗車することにした。

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しかし、実際の出発時は、あれこれ物思いに耽っている余裕などなかった。入線してくるシーンを写し、停車中の姿を写す。これがまた、ホームには同じ事を考える人で溢れ、思うようにままならない。3・4番線ホームから階段を渡り、人を掻き分けるようにして列車に飛び乗ったのは、ドアが閉まる30秒ほど前であり、もう少しで乗り遅れそうであった。旅情など、あったもんではない。

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そんな慌ただしいスタートだったので、当然座席にも有りつけず。ただ、蘇我でボックスの窓側を確保出来た。さぁ、改めて最後の1往復だ。蘇我17:24発。

最後だと思うと、とても愛おしい。でも、今ある空間は、いつもと何一つ変わらず、最後である実感はない。車内で聴こうと、MP3プレイヤーに思い出の曲を入れて来た。早速再生する。

窓框に肘を置いて、頬に手を当てながら、今まで何度も見てきた車窓風景をぼんやりと眺める。会話が聞き取れないこともしばしばだった、高速運転時のモータサウンドが心地良く、ずぅ~っとこのままでいたい気分だ。

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千葉を出発し、「高速域からの制動」としては初めての駅となる鎌取に差し掛かる。

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113系で好きなのは、発電制動が故のスリリングかつ豪快なブレーキ。回生と違って途中で失効する可能性はまずないから、ダイナミックに一発で止める。電制失効時のショックと、失効後の空制が強いため、理論上、単純なブレーキ扱いだと停止はぎこちなくなるが、ウテシさんだって、このあたりのことはもちろん分かっていて、ハンドル捌きで見事にカバーしてくれて、「ぎこちない」だなんて思わせない。こうした職人技も、今後は楽しめなくなる。

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余談だが、113系のブレーキ扱いは、JR東海とJR東日本とで違っていた。JR東海のウテシさんは、電制失効後の空制の強さを意識しておらず、停止直前にはブレーキをキィキィ言わせていた。東海道本線で熱海を境に、こうしたブレーキ扱いの違いを感じることが出来て、興味深かった。

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鎌取の次は誉田。誉田では69M・“特急わかしお19号”を退避するため7分停車する。277Mは2面3線のうち、中線に停車する。とあっては、やはり反対側のホームに渡って、編成写真が撮りたくなる。終点の勝浦まで、ボックスに身を埋め、ぼんやりと最後の113系をじっくり味わうつもりだったが、ダメだ、我慢できん。

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今まで、113系のために、退避中にわざわざホーム反対側まで渡って写したことなどなかった。113系はいつでも撮れる、ありふれた車両だったので、敢えてそこまでしなかった。なのに、今日は違う。記録出来るのなら、余すことなく残しておきたいという心理の方が強く働く。

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7分という停車時間は、待たされるには長く感じられるだろうが、写真を撮るのには慌ただしい。汗だくになりながら、113系を写す。忙しなくてファインダーに集中出来ない。だが、車内に戻ると「退避する“特急わかしお19号”は遅延しており、277Mも発車が遅れる」とのつれないアナウンスが流れる。だったら、誉田でもう少し気持ちにゆとりをもって撮影出来たのに…。

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結局、277Mの発車は3分遅れた。車内でのんびり味わいながら飲もうと思って、千葉で買っておいた缶コーヒーを、一気に飲み干す。この夏は節電で、温度はいつもよりやや高く感じられるが、それでも113系の車内は冷えていて、筆者は間もなく、落ち着きを取り戻す。国鉄時代の電車のクーラーは、「冷やせば良い」という方針だったようで、113系のクーラは、ラインデリアや扇風機による空気の撹拌がなくても、車内がギンギンに冷えた。冷えるを通り越して寒いほどで、乗車時間によっては上着を携行する必要があったが、JR化後は冷気吹き出し口の形状にカバーが施され、改善されている。

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誉田の次は土気。ここで多くの降車があり、車内に立つ人がだいぶ減った。車掌のアナウンスは肉声で、スピーカーはモノラル。レチさんが握るマイクはL型で、これからアナウンスを始めようとしていることは、車端部の増幅器に光るモニタランプで分かる。退屈凌ぎに、このモニタランプを眺めるのが好きだった。Dコックの位置を表示するプレートには、視認のため赤が添えられているが、単調なトーンの車内には、この赤が良いアクセントに映る。

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大網でも降車は多く、車内に空席が目立つようになる。自分と相席していた女性が下車したことにより、ボックスを独り占め出来る時間が始まった。なお,大網発車時点で遅延は解消していない.

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大網を出ると,左右が開けてくる.夏至は過ぎたが18時近くでもまだ明るい.車内といい,車窓といい,いつもの外房線と何変わらぬ光景で,これが自分にとって最後の外房線・113系であるだなんて,まるで実感がない.

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ところで、3扉セミクロスシートの113系と、4扉ロングシートの209系とでは、当然座席定員が異なり、113系の方が多い。113系列車では大網以南では着席の心配などほとんど要らなかったが、209系化後、その分岐点は茂原に移った。千葉から大網までは30分弱なので我慢出来るが、今後は15分余分に我慢を強いられると思った方が良い。

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上総一ノ宮では,後続の快速1517Fの接続を受けての発車となり,6分間の停車する.車内には筆者のほかにもお名残り乗車組が多く,停車中の動きが何やら慌ただしい.かくいう筆者も,先頭に行って113系をスナップ.やはり,最後だと思うと,チャンスがあるごとに記録しなければ気が済まず,じっとしていられない.

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上総一ノ宮は定刻18:21に発車.ここから先は勝浦まで部分複線区間となる.乗車中のモハ113-1517は,太東-長者町間の直線区間でヨーイングが気になった.113系の電動車が履くDT21台車は,高速域での蛇行が気になり,場合によってはそれがとても派手だった.外房線では,本納-新茂原間のやはり直線が続く区間でも見られた現象だが,DT21は原設計が50年前のものなので,最後の数年は,「こういうものか」と,割り切って接していた.なお,ここで挙げた区間は,実は他形式でも蛇行が見られる.すなわち,ヨーイングは軌道状態にも原因があると思われる……そうだ!今日はお名残り乗車だった.間もなく定期運用を終えようとしている房総ローカルの113系の,問題点を今さら挙げる必要は,もうないんだった.いつも,113系に乗りながら,あれこれ自分なりに,113系について研究していたが,そんな楽しみさえ,もう間もなく失われようとしている.

277Mは18:38,大原に到着した.向こうのホームには,この春いすみ鉄道に活躍の場を移したキハ52が見える.外房線といすみ鉄道のホームは隣り合わせているが,2011年に入って113系が急速に数を減らしたため,キハ52と並ぶ機会は意外に少なかった.なお,当日のこの並びの模様は,いすみ鉄道の社長である鳥塚氏がキャッチしている.一方,277Mの停車時間がわずかだったため,筆者は記録出来なかった.

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筆者の祖母の家が外房線の御宿にあった.御宿の2駅手前に位置するここ大原は,祖母の家に近付いた一つの目安であり,大原に着いただけでホッとしたものだ。と同時に、心踊る。かつては、駅本屋側のホームに、木原線のキハ35や、総武快速線直通の113系・11連が停車していたのを思い出す。駅は以前と変わらないが、最近になって、跨線橋が架けかえられ、エレベータも付いた。

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大原を出て、浪花、そして、進行方向左側にリゾートマンションの明かりが見えると、御宿だ。下り列車の駅到着時にモノラルスピーカから聞こえてくる「御宿~」のアナウンスは、筆者にとっては格別なものだが、今日で聞き納めだ。祖母も他界し、今では御宿で下車する用事もなくなった。今日は113系のお名残り乗車である。御宿では下車せずに、277Mに乗って終着の勝浦まで揺られる。

御宿を出て、日中ならここにきてやっと車窓に海が見えるのだが、既に日は暮れていて、外は真っ暗だ。もっとも、隧道の数も多く、日中でも海を見る楽しみは途切れ途切れだ。

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こうして、外房線普通列車277Mは、18:55に終点の勝浦に到着した。

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列車は23分後に294Mとなって、千葉へと折り返すが、勝浦での折り返し間合い時、ホームは撮影大会となった。勝浦の下り方は光源が少なく、長時間の露光が必要となるが、先頭部は混雑し、思うように撮影出来ない。中には、ストロボを遠慮なく発光する輩もいる。気持ちは分かるが、これはマナー違反なので、自分は手持ち限界のスローシャッターを切る。だが、どのカットもブレていた。折り返し間合いのほとんどを、下り方先頭で過ごした後、発車時刻が近付いたので、車内に戻る。

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上り294Mでは、席を立つことなく、じっくり過ごすと決めていた。なぜなら、筆者にとって最後の外房線113系だからである。往路と重複するので詳しくは書かないが、上総一ノ宮で快速との接続のための8分停車でも、いつもと同じように席で過ごし、113系の先頭部に足を向けることをしなかった。

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快速が先行するためか、幸いにして、車内は最後まで混雑することなく、千葉までボックスを独り占め出来た。最後を意識せずに、クーラの心地良い冷気に当たりながら、最後の113系との時間を過ごした。

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20:53、千葉に到着した294Mの113系には、カメラを向ける多くの姿があった。ファンだけではなく、一般の人も、ケータイやゲーム機などで113系にレンズを向けている。彼らは、みんなが写真を写しているから、つられて写しているのだろう。普段その活躍ぶりが地味で、あまり注目を浴びることなどなかった房総ローカルの113系は、こんなにカメラを向けられて、ちょっと照れくさそうに見えた。

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こうして、自分と房総ローカル113系との旅は、幕を閉じた。

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房総ローカルの113系は、同年9月下旬にイベント列車として、房総各線を巡り、最後は廃車回送を兼ね、長野までの団体列車として運転が行われたのを最後に、40年あまりに及ぶ活躍を終えた。

小田急ロマンスカー・HiSEの、1っちゃん前に乗りました!

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小田急ロマンスカー・HiSEの前展望席に乗った。

な~んも予定のない日曜、昼前に起きて、さて、午後どのように過ごそうかと、ロマンスカー@CLUBを見てみると、“さがみ69号”の前展望が空いているではないか。しかも、1B席が。沿線での写真撮影は寒いし、ちょうど良いや…と、早速キープ。乗り鉄して過ごすことにした。この日の占いは、ラッキーデーとあったが、なるほど、ツイてる!

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前展望に乗ることが決まるとなると、やや慌ただしい。何の準備もしていないが、せっかくなので、展望風景を動画に収めようと、ありったけのバッテリーと、大容量のSDカードを準備。スチル用には、新機種置き換えによって予備になった前機種を使うことにして、駅に向かう。

駅までの道すがら、自分のデジカメは、動画の上限が29分までしか記録出来ないことを思い出す。しかしこれは、途中停車駅のある“さがみ”のことなので、なんとかかなりそう。バッテリーも、新宿―小田原間75分なので、交換なしでもギリギリ間に合うはず。デジカメ固定用に雲台付きのクリップとガムテも持ってきた。

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小田急沿線に住んでいるが、ロマンスカーには年に数度しか乗ることがない。展望席は興味があるが、どんなに閑散時間帯の列車でも、展望席だけは別で、確保するのが難しいと、いつも最初から諦めている。今まで経験したロマンスカーの展望席は、中学生の頃、まだ乗車前改札だった頃に、後展望が空いているのを見つけて座ったのが一度と、展望車がフリースペースで、座席指定を確保する必要がなかった“ゆめ70”での前展望が数回だけ。

“さがみ69号”の前に入線してくる“あさぎり4号”のRSE車を写したりしているうちに、HiSEが2号線に入線して来た。この時、予備機のカメラが不調であることに気付いたが、特に対処することなく、このまま続ける。動画記録上限の兼ね合いで乗車前に確かめようと思っていた停車駅も、忘れたまま乗り込むなど、またとないラッキーな場面にこれから向かうにも関わらず、その幸運を最大限生かすための準備を怠っている。

動画撮影用のデジカメをガムテで固定しているうちに、あっという間に発車時刻。乗車前改札が行われていた頃のロマンスカーは、新宿折り返し時間が14分に設定されていたが、今では短縮されている。車内放送で確かめようと思っていた停車駅だが、動画記録に夢中になっているうちに、聞き逃してしまった。まぁ、何とかなるでしょ。

HiSEは展望車が制御電動車なので、展望風景と併せてモータサウンドが楽しめ、鉄道車両が持つ全てのエッセンスを一気に楽しめる。VVVF全盛の昨今、HiSEの静かなトーンのモータ音が、とても心地良く感じられる。

シートがリクライニングしないHiSEは、その部分がマイナスポイントとして評価されるが、シート全体に厚みがあり、悪い気は全くしない。小田急ロマンスカーの場合、乗車時間はせいぜい1時間強なので、リクライニングを本当に必要としない。それに、いま自分が座っているのは、前展望。もう前方に釘付けで、シートの座り心地なんか、どうでもいいんです!

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“ゆめ70”の頃からだから、小田急線の前展望は14年ぶりか。代々木上原までは当時と変わらないが、そこから先は、線増工事のため、大きく様変わりした。工事中の東北沢地下駅が覗かせたときは、ハッとさせられた。運転台のカブリ付きでは気にならないが、踏切通過時に、ふわっと浮き上がるような動きが感じられ、同時に、シャーという音がして、これが心地良い。踏板から受ける衝撃を台車がそれとなく減衰しているのが分かる。

NSEだと、展望席の天井からブレーキの排気音が聞こえてきたが、HiSEはMBSなので、何も聞こえてこない。前方風景の虜になっていると、この列車を、どこで誰が運転しているのかさえ、そんなのどうでも良くなる。護輪軌条が設置されている曲線は、カーブであることを感じないが、それがないと、小刻みに揺れるのが分かる。

数年前に、小田急ロマンスカーが人身事故に巻き込まれ、前展望のガラスが飛散した。そのため、しばらくの間、展望席が閉鎖されたことがあったが、後に飛散防止フィルムをガラスに貼ることで解決している。前展望席は、万が一の際にリスクが伴うが、ウテシさんの注意力といったら、それはそれはさすがで、ホーム進入時に列車に対して無防備な旅客を見つけては、すかさず警笛を鳴らしていて、事故防止に努めていることが分かり、ソフトでカバーしてくれる安心感を得た。

HiSEの展望席は、カーテンが省略され、UVカットガラスとなっている。そのため、前方風景がやや撮りづらい。カメラの露出計も、さっきから変な数値ばかり表示している。

*    *    *


ご存知のように、この春、HiSEは引退する。

今までの小田急特急車の例だと、更新工事を受けて今後も活躍が見られてもおかしくはなかった。しかし、HiSEはハイデッカー構造のためバリアフリーに対応しにくいため、更新が見送られた。もし、更新が行われていたら、工事のメニューはいったいどんなものになっただろうか?“スペーシア”のように、編成ごとにカラーリングを変えてみるのも楽しいかもしれない。

カラーリングと言えば、HiSEでは白を基調にした新しいカラーリングが採用された。それまでの小田急ロマンスカーのイメージを覆す、衝撃的なものだった。デビュー当時、まだ小学生だった筆者は、経堂検車区に搬入直後のHiSEを見に行ったことがある。入換のため、経堂駅2番線に入線して来て、編成を見渡すことが出来たのだが、白くて美しい車体は、ハイデッカー構造なのでとても存在感があった。それでいて、窓周りに添えられたワインレッドが、とてもお洒落で、上品で、存在感は、圧倒されるほどのものではない、控え目なものに映った。

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ホワイトは一般車、レッドはロマンスカーで従来から採用されていたので、小田急のイメージにかけ離れたものではなく、案外すぐに沿線に溶け込んだ。EXEがロマンスカーのイメージに定着せず、広報写真がHiSEに戻されたこともあり、VSE登場まで、イメージリーダーを務めた。

HiSEを初めて見た経堂検車区はその後、線増工事に用地を提供するため閉鎖された。そして、今度はHiSEが、過去帳入りしようとしている。

小田急には“ロマンスカード”というプリペイドカードがあった。導入された時期がHiSEのデビューと同じだったため、発行記念の図柄にはもちろん、HiSEが採用された。黒をバックに、HiSEのホワイトが浮かび上がる、印象的な図柄だった。いつしかプリペイドカードもICカードに移行し、カードを収集する楽しみもなくなった。

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HiSEがデビューしたのは、つい先日のことのように思える。HiSEは現代でも古さを感じさせない、洗練されたデザインだが、こうして振り返ると、時代は確実に移り変わっている。小田急線上を追われるのも、やむを得ないのか。残存している10001×11は、昨年7月に運転状況記録装置が設置されたばかりなので、もうしばらく活躍が見られるかと思っていたが、一方で、LSEと異なり、デジピー(新型ATS)が設置される気配がなく、RSEと共に、この春、引退する。

HiSE・4編成のうち2編成は、長野電鉄に新しい活躍の場を見出したが、昨年初夏に廃車された10041×11は、解体されてしまった。残存の10001×11も、このまま廃車になる公算が高い。トップナンバー編成ということで、先頭車1両だけでも小田急電鉄で保存されることを願う。

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“さがみ69号”では、車内販売が行われない。何度も書いたことがあるが、森永製菓が、ロマンスカーの車内で営業していた頃、車内で飲むココアとプリンの味が忘れられない。今回、予めコンビニでココアとプリンを用意し、車内でゆっくりと味わうはずだった。

が、実際は駅に着く度に動画ファイルの保存などに追われ、プリンを味わうゆとりなどなかった。お小遣いで乗ったのだろうか、1Cに座っていた小学生は、新百合ヶ丘で下車した。ずっと展望席にいて、車内を見学することをしなかったが、展望室のほとんどは、HiSEの引退を意識した、ファンばかりだった。

14:05、“さがみ69号”は定刻に小田原に到着した。10001×11は箱根方の電留線に引き上げた後、14:23発の“さがみ84号”として新宿へと向かって行った。25年近く続いたいつもと何変わらぬ光景に見えるが、それもあと1か月ほどで終わろうとしている。

それでは、前面展望の旅をお楽しみ下さい。

パワフル×スマイルちばフリーパスで、小湊鉄道~いすみ鉄道をゆく

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「パワフル×スマイルちばフリーパス」が発売されたので、小湊鉄道~いすみ鉄道と、房総半島を横断して来た。

筆者は、千葉と縁がありながら、小湊鉄道とは10年以上もご無沙汰しており、機会があれば行きたいと思っていた。また、毎日いすみ鉄道の社長のブログを拝見しており、気が付いたら、氏のファンになってしまっている。キハ52は昨年のゴールデンウィークに写したばかりだが、今回は、ポッポの丘など、沿線を巡ってみたくなった。

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209系ばかりになってしまい、すっかり東京の電車の延長のようになってしまった内房線で五井まで行くと、小湊鉄道の乗り換え通路は混雑していた。この日は沿線でマラソン大会が実施されたためで、混雑は通路だけでなく、小湊鉄道の車内もそうであった。このマラソン大会のために、この日の小湊鉄道は特別ダイヤが組まれ、増結などの対応がとられたほか、車両のやりくりの都合で、高滝以遠の一部列車はバス代行の措置がとられた。

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そうとは知らず、現地入りしたので、都心の朝ラッシュのような混雑に閉口する。掴める吊革が確保できただけでも良い方だった。まるで、海水浴の特別ダイヤが組まれた、昭和30・40年代の夏季の房総各線の車内を思わせる混雑ぶりだったが、そんな中を、女性車掌が切符を売りに巡回してくる。このタフさには恐れ入った。しかも、乗客が何も言わなくても、往復乗車券を切っている。夕方の自分や会社の仕事を少しでも減らすためでもあり、混雑に嫌気を差した乗客が、帰路は他の交通機関に逃げるのを阻止するための対応とも受け止められる。「キップを持っていない人、手を挙げて~」と、まるで何かのイベントのような、楽しい乗車券の売り方に、マニュアル通りの対応とは違った微笑ましさを感じる。乗客の中に1万円札を差し出す者あれば、「ひぇ~っ!1万円!」。こういった楽しいやり取りに、気が付けば、混雑の不快な気分を忘れていた。

高滝で車内のほとんどが下車し、車内は閑散とする。あれだけ暑かった車内も、ウソのように温度が下がってしまった。機関の排熱を利用した気動車の暖房は、電気暖房とは比べ物にならないほど、寒い季節に快適な暖かさを提供してくれるはずだが、高滝での降車に時間を要したためだろうか。湿度のせいで窓ガラスは曇り、車窓はあまり楽しめない。

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上総中野でいすみ鉄道に乗り換え。乗り換え時間は4分と聞いていたが、高滝での大量降車による遅延が影響したのか、いすみ鉄道のウテシさんの「発車しますよ~」の声に促されるまま、あれよあれよという間に車内におさまり、写真は満足に撮れなかった。

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いすみ200のエンジンは、第三セクターでよく聴く、聞き慣れた音で、コイルバネの小湊鉄道キハ200と異なり、空気バネ台車を履いていることもあって、乗り心地が良い。乗り換えたばかりなので、乗り心地の違いが手に取るように分かる。

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国吉で下車して、駅でレンタサイクルを借りる。そして、以前千葉ンプさんの記事を拝見して知った、いすみ学園の東急デハ3455号を見学。駅から自転車で10分もかからなかった。各地の保存車の中には、不気味で、目を覆いたくなるような様相を呈するほど荒廃したものもある中で、デハ3455号は搬入から30年近くが経つのに、良く整備されている。小学生の時に、目蒲線で乗ったことを思い出す。既にかなりの経年車と化していたが、不思議と古さを感じず、沿線の文化のひとつとして、溶け込んでいた印象がある。

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次に、今度はポッポの丘に行く。こちらは1駅向こうの上総中川が最寄りだが、日頃の運動不足気味であることから、そのまま自転車で行く。途中でキハ52の急行列車を写す。ポッポの丘の模様は、こちらの記事をご覧下さい。

日頃運動不足なのは認識しているが、体力も衰えてきたのか、自転車ではそれほどの距離でもないのに、途中で乗り捨ててしまい衝動に駆られる。寒いので自転車に乗るには不適切なほど、上下とも重ね着してきたのが、体力を奪う原因のようだが、いすみ鉄道の車内には、自転車が持ち込めるので、よっぽど、いすみ200型に運んで貰おうかとさえ思った。

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でも、いすみ200の力を借りなくて正解だった。来るときは見落としていたようだが、“いってんべぇ、国吉”という物産展示販売施設の2階に、鉄道ジオラマがあって、見学することが出来たからだ。ただ、あいにくレイアウトは脱線気味で、列車は動いていなかった。展示物は私人のコレクションのようだが、千葉に関連した展示はほとんどなく、レイアウト上に、いすみ鉄道の車両が置かれていなかったのも気になった。物産展示販売施設の中ということもあり、地元を意識した内容にしたらいかがだろう?国吉の街を今回初めて散策し、商店街が想像していたよりも大きいことを知る。

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駅に戻るとちょうど下り列車が入線してきたので、城見ヶ丘まで行き、そこで上り列車を捕まえることにする。城見ヶ丘は近年開設された新しい駅で、すぐ近くに国道が通り、沿道には多くのお店が建ち並んでいるため、駅としての立地は良いのだが、列車での利用者はあまり多くない。

上り列車で大原まで行く。大原に差し掛かる頃、外房線の上り普通列車とすれ違った。わずか2分の違いで接続しない。何か理由があるのだろうが、2分ぐらいどうにかならないものか?自分は、大原から先、下り普通列車に乗るが、これもまた40分待ちであった。このように、いすみ鉄道と外房線の接続は、あまり良くない。JR側も、極力駅本屋側のホームに入線させるなど、いすみ鉄道との接続を意識しているのが見て取れるが。

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忠勝弁当があれば乗り換え間合いに食べたいと思っていたが、売り切れ。この忠勝弁当、以前に食べたことがあるが、トンカツにラードが使われていて、駅弁なのに、街中のお肉屋さんで揚げてもらったトンカツの味が楽しめる、一風変わった駅弁だ。もう一度食べたいと思っていたが、午前中に売り切れてしまうことがほとんどだとか。いすみ鉄道の駅弁にはもう一つ、伊勢えび弁当があり、こちらは予約制だ。実は、訪問2日前に予約を試みたが、急行2号の乗客限定であるとの案内を受け、今回は諦めた経緯がある。結局、お昼はコンビニ弁当にする。

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大原から館山まで普通列車で往復。安房鴨川での乗り換えがあるが、美しい海を見ることが出来、日頃のイヤなことなど、忘れる。いよいよ房総ローカルも、4扉・ロングシートの時代となったが、209系は窓が大きくて、これなら、ロングシートでも車窓を見るのに不自由しない。車内は暖かく、何度もコクリコクリした。113系と違って車内の温度に温もりが感じられないが、悪くはない。

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館山から戻り御宿で途中下車。有名な月の砂漠の海岸近くにある、日帰り温泉に入浴する。寒い日だったからなのか、館内は多くの入浴客がいて、脱衣場での着脱に一苦労。筆者好みの熱いお湯が楽しめた。ヌルヌルとした黒ずんだお湯が特徴で、肌がツルツルになる。気持ち良かった~。

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湯冷めを気にしながら、御宿の商店街へ。筆者お気に入りの“つきじ”というお店で、お刺身定食を食べる。実はこの旅行の前日に、資格試験の合格発表があって、筆者は合格することが出来た。受かったら、是非このお店で食事したいと楽しみにしていただけに、充実感に包まれる。

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こうして、房総半島での楽しい1日が終わった。113系がいなくなってしまったのは淋しいが、千葉はあれこれ話題も多く、東京から近くてやや物足りなさを感じるようで、週末の一日をのんびりと過ごすのに程良い。「パワフル×スマイルちばフリーパス」は3月まで使えるので、今度は今回の旅では食べることが出来なかった、いすみ鉄道の伊勢えび弁当を食べに行こうと思っている。

ポッポの丘の愉快な保存車たち

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いすみ鉄道・上総中川が最寄りの、ポッポの丘に行ってきた。日頃の運動不足気味であることから、国吉で借りたレンタサイクルで行く。途中でキハ52の急行列車を写す。

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ポッポの丘は地図で検索してもヒットせず、公式HPの大まかな地図だけが頼りで、些か心細かったが、ゴルフ場の隣にあって、迷うことなく見つかった。何てったって、丘の上に、広告看板よろしく、鉄道車両が置いてあるんだもん。

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それにしても、よくもこんな丘の上まで、車両を運んだものだ。入口までの急な坂道を上りながら、思わず感心してしまった。お店の人に、「歩いてきたんですか?」と驚かれる。

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園内に入ると、保存車の種類が、予め把握していたものよりも多くて驚いた。園内はまだ工事中だが、何だか保存車両は更に増えそうな予感。カラーリングは現役時代のままで、銚子電鉄と北陸鉄道といすみ鉄道の車両が並んでいる。それぞれ別の会社の、全く異なる種類の車両なのに、並んでいても違和感がない。一方、貨車は明るい色に塗り替えられている。黒いままでは、周囲に溶け込んでしまい、夜など不気味だろうから、カラフルに塗り替えて正解だと思う。

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車内では養鶏農家が卵を直売しているほか、いすみ鉄道や銚子電鉄のグッズなどが売られている。ただ、保存車両はいずれも引き渡しを受けた現状のままなので、そんな中に並べられている商品を見ても、購買意欲があまり沸かない。例えば、いすみ鉄道のグッズは、同じ商品が先ほど自転車を借りた国吉駅のムーミンショップでも売られているが、見栄えが違うのだ。北陸鉄道の3752は、8年前に鶴来で見た車両だ。まさか、北陸鉄道には無縁の千葉のこの地で、コイツと再会することになるだなんて、当時は夢にも思わなかった。

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ゴルフ場に隣接しているのは、人の流れを意識したからなのだろうが、自分以外に買い物客はいなかった。園内には1970年代を中心とした懐かしい音楽が流れていて、さながら“大人向けの遊園地”の様相を呈している。自転車を漕いできたこともあって空腹感を覚え、何か軽食でもあれば食べたいと思ったが、お菓子類しかないため、国吉駅に戻ることにした。

【乗車ルポ】特急“あさぎり6号” 小田急ロマンスカーとして活躍するJR371系の最後の姿

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あれこれ噂の絶えなかった御殿場線の特急“あさぎり”だが、昨秋の371系“あさぎり”運用撤退報道に続き、年末のプレスリリースで、各列車とも運転区間が御殿場までに短縮される旨が発表された。これを機会に、最後にもう一度、沼津から小田急新宿まで、371系で乗り通してみたくなった。

“あさぎり”は、春以降小田急ロマンスカー・MSEに変更される。同時に、小田急側からも、ロマンスカー・RSEが廃車されるとの発表もなされた。371系も、小田急20000型も、車齢20年強と、経年はまだ若いが、371系は転用され、RSEは廃車となる。

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これらの背景には、小田急のATS更新が絡んでいる。すなわち、JR東海と小田急の両社は、特急“あさぎり”の現行車両への設備投資を見送ったのだ。そのため、今春のダイヤ改正は、MSEによる新型への置き換えという発展的なイメージよりも、どうしても消極的な施策としての印象が強い。

MSEは、箱根・江ノ島に東京メトロ、そしてJR東海へと、特急のどの運用にも充当できる文字通り“マルチ”な車両として、現場ではますます重宝するかもしれない。小田急4000系(E233系準拠)と機器が共通化されている点も、他社への直通を有利にしている。

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しかし、MSEにはVSEほどのステータスが感じられない。ロマンスカーの売りである展望室がないのが、マイナスポイントで、特急車両にも関わらず機能的に映る。“あさぎり”に充当されるMSEは6Rとのことで、沼津方先頭車は前面展望が楽しめるが、新宿方先頭車は幌連結が考慮された貫通型先頭車となる。余談だが、御殿場線の有名撮影地における“富士山バック”の構図で、MSEの流線型先頭車は期待できない。これもまた残念。

前置きが長くなったが、旅を始めよう。

沼津で“あさぎり”の特急券・乗車券を買う。自動券売機で、新幹線や“青空フリーパス”は買えるのに、“あさぎり”は用意されていない。仕方がなくみどりの窓口で求める。“あさぎり”はマルスに収録されていないんだっけ。このあたりが、“日光”“きぬがわ”と異なるところで。この日は小田急線内で踏切事故があったため、小田急は13:35まで特急券の販売を見合わせていた。そのため、沼津入りの前に新宿口で求めようと思っていたが、購入出来ないままやって来たのだが、無事に手に入れることが出来た。

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発券された切符が面白く、「特急券・乗車券」と「指定券」の2枚が渡された。「指定券」の金額部分は\***表示となっている。前述のように、“あさぎり”がJRのマルスに組み入れられていない故なのか。いつも、小田急側でしか買わないので、初めて見る様式に戸惑う。イジリ―岡田に似た窓口氏に「ICカードで乗車出来るか」と尋ねたところ、「うぅ~ん」とのこと。ダメだとも、知らないとも受け取れるハッキリしない返事にこれまた戸惑う。結局、乗車券も併せて購入した。

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ラチを通過するにあたって、今度はその2枚様式の切符を自動改札機にどのように入れるべきか?「2枚投入可」とあったので、重ねて入れてみたところ、「ピンポ~ン!」。ありゃりゃ、鳴っちゃった。有人改札へと案内される。結局、自動改札機には「特急券・乗車券」のみを投入すれば良いんだと。あ~ぁ、ややこしいわ~。

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発車前に編成外観を眺める。いつも目にする371系だが、小田急線内の特急停車駅はどこも混雑していて、こうしてゆっくりと外観を眺める機会は少ない。整備水準は高く、経年20年とは思えない。ホワイトがとても透き通るような色をしていることに気付く。思わずうっとりしてしまう。編成中央のダブルデッカーも存在感があり、好景気に沸いていた、楽しい時代の産物であることを思わせる。

0406M・特急“あさぎり6号”は沼津を15:30に発車した。発車後、運転所の辺りまで、“あさぎり”はクネクネとした駅構内をソロリソロリと進む。これが案外長く続く。

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ようやく、制限が解除されて加速する。進行方向左手には富士山が展がる。371系は、時刻表では「ワイドビュー車両で運転」と案内される。“ワイドビュー”と聞くとキハ85系のイメージが強く、371系に対してはどうもしっくりこないが、なるほど、大きな窓は富士山を見るのに不自由なく、“ワイドビュー”に相応しい。

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一方、富士山と反対側の車窓には、371系のシルエットが、列車と並走しているではないか。流線型の特徴ある先頭部と、大きな窓が、そのまま影になって、なかなか印象的である。窓の下辺が、着席している人のヘソの辺りまであり、これが心地良い開放感を生み出してくれるのだ。

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沼津から新宿まで“あさぎり”を乗り通したのは、20年前に乗って以来。371系デビュー2年目の春のことで、中学の卒業記念に、友人と乗った。あとは専ら区間利用のみで、特に御殿場線内で乗る機会は数えるほどしかない。およそ20年前に、“あさぎり”は沼津延長という発展を遂げたにも関わらず、今回、運転区間が縮小してしまう。沼津だと、東海道本線経由の方が本数が多くて気軽だし、普通列車でも所要時間はさほど変わらない。このあたり、“特急・東海”が廃止されてしまったのと、事情が似ている。沼津―御殿場間の自由席設定とか、対応策が講じられたが、“あさぎり”も思うように育たなかった。

余談だが、この沼津―御殿場間の自由席設定について、高校生の頃に鉄道雑誌に記事を投稿したら、掲載されたことがある。たまたま御殿場線に撮影に行って目にした模様を投稿したのだが、掲載誌が贈られてきて、飛び上るほど嬉しかったのを覚えている。なので、筆者にとって“あさぎり”の自由席は感慨深いものがあるのだが、今春の運転区間縮小に伴い、その自由席も見られなくなる。

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投稿の話題をもう一つ。371系に事故や運休が発生すると、“あさぎり”は新松田まで、小田急のロマンスカーが代走する。RSEが充当されれば、代走もスマートだが、RSEの場合、2本中のもう1本は、箱根特急に運用されているので、突発的な場面には対応出来ない。そのため、371系の代走は、HiSEなどが充当されるケースがほとんど。なお、HiSEやLSEには、“あさぎり”の愛称幕が装填されていないため、“特急”や白幕が表示される。中学生の頃、代走シーンを初めて目撃し、これまた、鉄道雑誌に記事を投稿したら、掲載された。前述の、自由席の投稿と言い、筆者にとって“あさぎり”は思い出多き列車だ。

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特急“あさぎり6号”は、御殿場線を快調に飛ばす。かつては東海道本線の一部だっただけのこともあって、371系の110km/h走行にも無理を感じない。ただ、単尺レールなのでジョイント音を刻む。小田急線内はロングレールが一般的なので、リズミカルなジョイント音は、御殿場線内を印象付ける特徴と言えよう。また、各駅構内が1線スルー化されておらず、駅通過の際に大きく減速するのが、亜幹線の特急であることを改めて思わせ、高速化ばかりを追求した幹線の特急とは違う。

沼津発車時点で、筆者が乗車した1号車の乗客は10人程度。最初の停車駅・裾野で、乗車はさほどなかったが、御殿場では、グループ連れが乗車してきて、車内に活気が生まれる。ゴルフの帰りなのだろうか。ビジネス特急とは異なるムードに包まれる。車内も6割弱が埋まり、ダイヤ改正後の“あさぎり”が、廃止の道を歩まず、御殿場以東で存続した理由が分かる。なお、筆者が乗車したのは土曜日のことで、平日の動向はまた違うのだろう。改正後、平日の“あさぎり”は運転本数が1往復削減される。

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ここで改めて371系の車内に目を向ける。車内のトーンは、JR東海の在来線特急と同様で、重厚さは感じないが、明るい。座席のクッションが快適で、筆者の体にフィットする。経年20年になるが整備水準が高い。シートピッチが広く、リクライニングも傾斜角度が深く、これなら夜行列車でも運用できそう。是非、“ムーンライトながら”に充当してもらいたいところだ。371系の居住性は、筆者個人の感想としては、MSEを上回る。MSEは、軽量化されたシートが揺れに共振し、なんとなく納まりが悪く、通勤列車と座り心地は変わらない。

御殿場を出て、車窓は今までと違って山間深くなる。夕暮近く、コントラストがないため、鮮やかさはないが、紅葉で木々が色付いている。自然の影響を受けやすいように映るが、御殿場線は案外タフ。海沿いよりも強く、自然現象による運休は少ない。そのため、九州ブルトレの迂回ルートとしての活用が検討されたこともあった。

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松田で、小田急の乗務員と交代。ここから先は小田急線を進む。OJ切り替え装置と称するマスコンキーによる判別によって、運転台の各種設定は、自動的に切り替わる。設定が小田急側に切り替わったことは、スタフ差し下の列番設定器に電源が入ったことから、客席にいながら分かる。

列車は、松田連絡線を進む。

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この松田連絡線。全長僅か363mなのだが、無理して御殿場線と接続した事情が見て取れる、窮屈な線形となっている。両社との、信号・保安設備の違いのほか、デッドセクションも加わって、急曲線・急勾配と徐行を強いられる区間でありながら、ノッチすら思うように入れられない。非電化時代は、ノッチの問題は関係なかったが、小田原授受線なきあと、甲種輸送もこの松田連絡線を介して行われるようになり、機関車列車では、さらに難しい運転技術が要求されよう。さらに,小田急小田原線の本線との分岐部分は逆カントになっているそうで、連絡線上を最徐行で通過する。東武の栗橋に比べたら、簡素な連絡線に映るが、このように、ちょっとした難所である。なお、デッドセクションが介在するが、“あさぎり”の室内灯は消えない。

この松田連絡線についてもう少し書くと、昭和30年の連絡準急運転開始のために建設されたものだが、戦時中にも、小田急線と御殿場線を接続する計画があって、終戦時点で橋脚が1基だけだが完成していたそうだ。だが、この橋脚は現在の松田連絡線に流用されてはおらず、後に撤去された。終戦後も、大東急が御殿場線を電化して、経営委託するといった内容が運輸省でも検討され、実際に大東急による免許申請も行われたそう。このことから、小田急は、ずっと永いこと沼津という地に憧れを抱いていたことを窺い知る。それが、平成になってようやく実現したわけだが、今春から、小田急の列車は、憧れの地・沼津に顔を見せなくなってしまう。

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このように、僅か363mの連絡線を通じて、いろいろなロマンを抱いた時代があった。合理化・省力化の現代。現実に追われ、あれこれ夢を描くことすらなくなってしまったけれど、昔は、鉄路にロマンを求め、それがまた、楽しみでもあった。371系やRSEは、それらロマンが実現したひとつの形でもある。

話を“あさぎり6号”に戻す。

レチさんは、連絡線を通過すると、早速車内巡回に出た。ロマンスカーは、座席の発売状況と照合する方式が採用されていて、イレギュラー以外は車内改札がない。JR東海の区間でも、車内改札はなかった。一方で、あまり広報されていないが、特急券を持たずに乗車すると、300円が加算される。しばらくすると、2本のMSEとすれ違った。

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小田急線に入って、車内販売がないことがアナウンスされる。そう言えば、JR東海内では、車内販売について触れていなかったが、Jダイナーは、371系より一足先に、“あさぎり”の車内販売から撤退している。

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本厚木で多くの乗車があって、筆者が乗車した車両は座席が埋まった。暗くなり車窓も楽しめなくなったが、ここから先は、いつも通る区間。リクライニングを大きく倒し、シートに身を埋める。371系は界磁添加制御方式だが、特急として走る分には直列段の粗いステップが気にならない。時々、床下から「スパン!」という音が聞こえるあたり、抵抗制御の車両であることを思わせ、ひと世代前の形式であることを認識させられる。冬なので、窓側に座るとやや寒い。

“あさぎり6号”は、相模大野の通過線に勢い良く入る。だが、勢いが良いのは入るときだけ。通過線の出口は分岐器の分岐側になっており、速度制限が伴う。町田に停車すると、次は終点・新宿である。MSE化後の“あさぎり”は、新百合ヶ丘と相模大野が新たに停車駅となる一方で、町田は通過となる。相模大野に停車するのは、分割併合が行われるためだ。町田は小田急線内乗降第2位の駅で、特急利用者も多いが、ここ数年、町田に停車するロマンスカーは減少傾向にある。EXEデビュー当時、町田に分併設備を設置して、分併に対応していたが、町田―相模大野の線路容量が逼迫してしまったので、町田での分併は中止された。

時折、パンタが離線してスパークが青白く光る。

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新百合ヶ丘・経堂と、緩行が退避する駅が差し掛かると、追行運転になりがちだが、本線が開通すると、水を得た魚のごとく、勢い良く通過する。371系が小田急に初めて乗り入れて来た頃は、まだ地上の複線で、複々線区間は東北沢―代々木上原の1駅間のみであった。地平時代の梅ヶ丘で見た、夕陽に赤く照らされた371系の姿が忘れられない。371系が踏切を通過する時の、ダブルデッカーの存在感は巨大で、思わず仰け反りそうになったものだ。

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“あさぎり6号”が終点・新宿に差し掛かる。進行方向右手には、東武特急・“スペーシア”が長距離列車ホームに停車しているのが見える。“スペーシア”と“あさぎり”は、JRと相互直通する、同じ性格の特急列車だ。新宿に乗り入れる本数も同じだが、“スペーシア”は、休日を中心に臨時列車が増発されるなど、なかなか好調のようだ。目的地が、御殿場・沼津と、世界遺産の日光とでは、マーケットが異なり、性格が似ているように見えて、両列車を単純に比較するのは無理な話しだ。

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“あさぎり6号”は、17:29・定刻に新宿駅に到着した。

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出口が1箇所しかないのと、乗車率が高かったこともあって、降車にやや時間がかかった。とても、今後運転区間や本数が縮小される列車に思えないほど、新宿に近付くにつれ、“あさぎり6号”は活気に満ちていた。


- 371系関連記事 - 
 ・ 乗車ルポ 371系・特急“あさぎり”6号
 ・ 私たち、少数派
 ・ いまなお独特の存在感 371系・特急“あさぎり”

 ・ 乗車ルポ 371系・ホームライナー静岡3号


【参考文献】 鉄道ピクトリアル 1991年 7月臨時増刊号 <特集>小田急電鉄
        鉄道ピクトリアル 1999年12月臨時増刊号 <特集>小田急電鉄
        鉄道ピクトリアル 2010年 1月臨時増刊号 <特集>小田急電鉄

伊豆箱根鉄道1100系 赤電リバイバルカラー

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伊豆箱根鉄道の1100系が、もう間もなく廃車されるにあたって、赤電カラーに塗装変更された。今年に入って、やっと駿豆線を訪れることが出来たので、撮影して来た。

今回の赤電カラーは、塗り分けなどの違いなど、あれこれ指摘箇所が多いらしいが、筆者は、1100系らしいおとなしさが表現された、上品な塗り分けだと思う。温泉地に向かう列車に相応しいムードを漂わせている。

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伊豆箱根鉄道には、1000系というオリジナル車両が存在していた。オリジナルとはいえ、そのスタイルは西武の電車に似ており、カラーリングも西武の赤電塗装に準じていた。にも関わらず、1000系は、独特の雰囲気を醸し出していて、西武の赤電とは趣を異にしていたから、不思議だ。非冷房車なので、晩年は冬季以外は休車とし、工夫しながら運用されていた。

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余談だが、大雄山線が全車新型車であるのに対し、本線格の駿豆線は、なぜか西武からの「中古車枠」があり、1100系は元西武701系だ。流山電鉄と同様、元西武新101系によって置き換えられる。ただ、西武鉄道の通勤電車は、101系を最後に4扉車に移行していることから、1300系が置き換え時期に到達した際、この「中古車枠」はどうなるだろうか?その時期は、恐らく約20年後になるだろうが、今からちょっとだけ気になっている。



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 ・ 西武湘南窓似 赤電2題

 ・ 昔、東京を走っていました 【静岡編】

さよならゾロ目! 小田急5200形 5255×4 営業終了

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本日,新宿駅で偶然に5255×4が入線してきた.

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本日で営業終了だったのね.さほど気にもしていなかったので,本当に偶然だが,最後の姿をキャッチすることができた.

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これで,ゾロ目・クハ5555は見納めとなり,小田急ではデハ1111が唯一となる.4連化後の5255×4は新宿方に組成され,しかも,時期を同じくして分割併合回数が削減されたため,「5555」が先頭に出る回数は大幅に減ってしまった.

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そのため,自分が残した5255×4の最近の記録は新宿方から狙ったものばかり.そこで,クハ5555先頭シーンは,nakasandaさんのこちらの記事に掲載されているので,ご紹介したい.

【新春特別企画】 “日本海” “あけぼの” 2本のブルートレインの旅

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謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今年こそは、良い年にしたいですね。

さて、年末年始の筆者は、寝台特急“日本海”と寝台特急“あけぼの”、この2本のブルートレインを青森駅で乗り継ぐ、大阪―上野間の旅をしてきた。

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“日本海”も、“あけぼの”も、冬季は降雪など、天候の影響を受け易く、覚悟していたが、実際には両列車とも定刻に終着駅に到着し、万が一に備えて多めに買い込んでおいた駅弁も、箸を付けることはなかった。

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いずれも、昔ながらのB寝台、しかも上段での旅行だったが、今後残る夜行列車は個室主体の列車ばかりになるだろうから、貴重な経験だ。

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食堂車やロビーカーなど、気分転換出来る車両が連結されていない。また、B寝台の上段だと、席を立つにも、そうおいそれとは行かない。唯一の気分転換スペースは、緩急車の貫通路部分だが、“あけぼの”の場合は、レディースカ―が1号車に設定されているため、この楽しみすら奪われてしまう。

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だから、ほとんどの時間をベットで過ごした。退屈覚悟で、パソコンにドラマをいっぱい詰め込んで来た。車内で、ドラマを観ながら、のんびりと思い思いの時間を過ごすことができた。


“日本海”と“あけぼの”、両列車での詳しい旅の模様は、今後記事にしたいと思っている。どうぞお楽しみに。

千葉ポートタワー ぶらり京葉線

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今回は、今夏の終わりに千葉港にあるポートタワー訪れたときの模様をお届けしたい。

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この夏は、いろいろ事情があって、イライラしてストレスが溜まり気味だった。気分転換して発散すべく、千葉にあるポートタワーに行って来た。この時は鉄道趣味は抜き。Tシャツにジャージ、カメラはコンデジのみと、最初から息抜きのために割り切っていた。

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ポートタワーの入り口で、早速共通券を求め、幕張メッセ沖合遊覧コースを予約した。共通券とは、観光船周遊とポートタワーの見学がセットになったもので、これが1000円と、かなりお得。

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まずはポートタワー。4階の展望室に上がると、眼下に千葉港が広がり、爽快な開放感を味わえる。反対側には、千葉みなとの駅を手前に、千葉の街が一望でき、見ていて楽しい。ずっと見ていても、不思議と飽きない。

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特に、京葉線の高架軌道が見えるので、どうしても、列車がやってくるのを期待してしまう。来る列車がスカイブルーの201系であれば、インパクトがあっただろう。「鉄道趣味は抜き」のはずだったが、結局、京葉線の列車が満足に写せるまで粘ってしまった。

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西側に見える高架軌道を行く列車を写してみたかったが、これは貨物列車の勾配緩和軌道であり、列車は思うように通過しなかった。

スカイブルーの201系がまだ京葉線を走っていたら、この風景にスカイブルーのアクセントを添えてくれたはずだが、この夏を前に引退している。

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今度は、近くの千葉港に移動し、観光船に乗る。

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観光船ということで、もう少し楽しげな船体を想像していたが、クルーザーを大型化したような、案外質素なものだった。乗船客は案外多く、席の確保や、デッキでの見学が思うように行かない。

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いつも、京葉線の車窓から東京湾を眺めることはあっても、こうして、海上から千葉の街を眺めることは初めて。

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面白いのは、船内で“かっぱえびせん”が売っていること。自分で食べるためのものではなく、行き交うカモメにあげるための餌で、手を伸ばすと、カモメがスッと寄って来て、“かっぱえびせん”をゲットする。カモメの飛ぶスピードより、観光船の速度の方がやや速く、カモメは必死になって追いつこうとする。すっかり、カモメとのやり取りに夢中になってしまった。

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帰りに、海浜幕張に出て、以前から乗りたいと思っていた京成の連接バスに乗った。休日だったので、連接バスが得意とする輸送力を存分に発揮するシーンは見られなかった。また、走行する道路も幅員が広くて、連接バスが通過するのに難儀するような場面もなく、バスは、あっという間に幕張本郷に到着した。幕板部分のラインに、カラーバリエーションがあることを知る。

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千マリ構内にはEAST-i-Eがいた。

After The Type 113 Has Gone

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2011年9月24日、房総ローカルの113系がいよいよ最後を迎えた。

113系には、数え切れないほど乗車したが、外房線を行く姿が見られるのは、この日が最後である。

沿線は、いつもと変わらぬ、ありふれた朝を迎えた。

前日の総武本線~成田線でのファイナルランは、8月の定期運用で掲出していたものと同じヘッドマークだった。そのため、外房線・内房線でもあまり期待出来ず、実は、気が向かなかった。

ところが、ファインダーの中に現れた113系には、前日とは違ったマークが付いているではないか。

“白い砂”だ!

外房線に、「夏季ダイヤ」があった頃の記憶が甦る。総武快速線から直通してくる快速は、冷房車11連の堂々たる姿で、同一形式であることが信じられないほど、房総ローカルの初期車とは、まるで違うムードを醸し出していた。当時の上総一ノ宮以南は単線で、快速列車は、長者町で運転停車を強いられた。田舎の小駅に止まる、堂々編成には似つかわしくないシーンが、今でも強く印象に残っている。快速列車は大原までだったが、夏季ダイヤ期間中は勝浦まで延長運転された。御宿まで、グリーン車を奮発したのも思い出だ。

最後と聞いただけで気が重くなるが、千葉支社の、この心憎い演出に、テンションが上がる。通過速度もゆっくり目で、思い通りの構図が得られた。もうこうなると、折り返しの上り列車を迎えるのが、否が応にも楽しくなる。

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そして、外房線最後の113系列車となる上り列車は、海をバックに写したかった。

天気が味方してくれて、海は青く輝いている。

夏草とポールを交わさねばならず、構図に制約があったが、どうにか思い通りのカットが得られた。

去りゆく113系は、いつもと変わらぬ列車にしか見えなかった。

しかし、外房線を行く113系はこれが最後。MT54のモータ音を響かせながら、向こうへと消えて行き、過去帳入りしてしまった。

自分は外房線に縁があったのに、ここ数年で、それらは全部思い出へと変わっていった。

だから、せめて、113系だけは、このままずっと走り続けて欲しかった…。


ボクとスカ色のソネット

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房総ローカル用113系の定期運用が終了してしまった。残すは9月に行われるイベント運転のみである。日本の直流電化シーンに欠くことの出来ない存在として、あんなにウヨウヨいた113系。それが、もう間もなくJR東日本から姿を消そうとしているだなんて信じられないが、現実として受け止めなければならない。

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身近な存在として、今まで何度もカメラを向けてきたが、それでも、最後だと思うと、別れが惜しくなってくる。この8月は、総武本線に通った。

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成東シャトル……千葉―成東間を何度も往復する運用に、最後の113系は多く充当された。

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このスジは、佐倉でN’EXを退避する。なので、先行するこのN’EXでリハーサルして、本番に臨むのだが、N’EXではギリギリまで引き寄せることが出来るのに、113系だとビビってしまい、どうも進行方向の画角に“スカ”が出来てしまう。これだけ線路に近くて、しかも、やって来る列車が高速という条件だと、モードラで連写しても“当たり”を得られることが少ないため、自分の集中力に依存する方を選らんだ。だが、ファインダーの中に113系が現れると、足は竦むだけでなく、全身が緊張し、とうとう最後まで満足するカットが得られなかった。

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「カメリハ列車は上手く写せたのに、本チャンでは失敗した」…誰もが経験するよくある話し。

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だが、今まで、その“カメリハ列車”とやらが113系だったのに、この夏の113系は、“本チャン”になってしまっていた。113系は注目を浴びて、さぞかし嬉しかっただろうが、内心は複雑であるに違いない。

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8月30日、7月24日の廃車回送が新潟県内の豪雨の影響で打ち切りとなり、所属区へ返却されていた幕張車両センター所属S224+106編成の廃車回送が、津田沼→長野総合車両センター間で行われた。筆者は、その廃車回送を池袋でスタンバっていたが、時刻誤認によって、諦めてカメラを片付けている最中に、列車は通過して行った。外回りの仕事を分刻みで遣り繰りし、仕事中にどうにか撮影の時間を確保しただけに、悔しかった。

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他にも、遅延の影響で、15Bの快速列車にカブられたり、農家の人に通過直前になって「除草作業するから退いてくれ」と言われたり、スチルの撮影に失敗し、思わず発した「あ゛っ!」という声が、動画に吹き込まれてしまったり、あれこれハプニングも多かった。

いや、ハプニングの方が多かった。

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それでも、113系を追いかけた。

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楽しい夏だった。

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レールを駆け抜けていく、あのブロウ音がもう聴けなくなると思うと、とてつもなく淋しい。

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房総ローカル…と言えば113系だった。千葉の風土に馴染んでいて、千葉の文化そのものでもあった。千葉の旅行に欠くことの出来ない、当たり前の存在だった。なので、何年か経って、またひょこり、113系は千葉の鉄路に姿を現してくれるのではないか、そんな気がする。もしそんなことがあるのなら、そのときはぜひ、クモユニと一緒に遊びに来て欲しい。

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姿かたちがよく似たのが、まだ中央東線にいるではないか…という向きもあるが、房総ローカルの113系は、“山スカ”の115系とは違って、やや控えめな印象があり、やっぱりどこか違うんだな、これが。

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最後に、このアングル。最近知ったのだが、時すでに遅く、113系の運用範囲が縮小された後のことで、ここで113系を記録することが出来なかった。海をバックに、113系を写してみたかったが、実はこのアングル、撮影にはいろいろ制約があり、実現しなかった。最後に残されたチャンスは、9月のお別れ運転だが、平日限定のアングルなので、願いは叶うことなく、終わってしまう。



Good-bye 203

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この夏は,とにかく,多くの身近な形式が姿を消した.ダイヤ改正が行われたわけでもないのに,車両の動きが活発な,珍しい夏であった.

そして,いよいよ,コイツ…203系までもが,お別れヘッドマークを付け始めた.

E233系2000番台への置き換えは、ものすごい勢いで進み、203系は残すところあと2本となった。E233系への置き換え計画は一時見直され、E259系の製造が優先されたりもしたが、そんなことなど、すっかり忘れさせられるくらい、今年度に入ってからの置き換えペースは驚くほど早かった。

バタツキの多いアルミハニカムのドアや,デンジャラスなモータ音にチョッパのパルス,回生失効時のダイナミックなショックなど,思い出も多いが,それらも,もうすぐ昔語りとなる.

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登場時は,特殊用途ということもあって,国電らしくない車両に見えたが,今では,国鉄チックな電車に映る.デビュー当初を知っている車両は,いつまでも新車のような気がして,引退が迫っても,その事実を実感として捉えられない.

地下鉄乗り入れ用なので,撮影できる場所は限られてしまい,混雑して思うように記録出来ない.なので,自分にとって身近な車両なのに,最後が迫ってもなぜかテンションが上がらず,「写っていれば良いや」…と,まるで愛着と反比例するかのごとく,やっつけ仕事みたいな記録ばかりに終わっている.

この夏は疲れた.夏の疲れがちょうど今きたところで,このあたりも,203系を前にして,ボルテージが上がらない理由の一つだと思う.ブログ運営もサボリ気味で,ネタはたくさんあるのに,記事にする気が起きない.203系についても,あれこれ,書きたいことがいっぱいあるが,またの機会にしたい.

東京メトロ06系 小田急小田原線新宿口入線 2011/09/01

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本日、(台風接近)大雨による速度規制に伴い、小田急は東京メトロ千代田線との直通運転を中止した。そして、行き場を失った上り多摩急行は、そのまま新宿行きとして運転された。

ここまでは、ダイヤ混乱の際によく見られる事柄だが、今朝は、その列車に、1本のみしか在籍しない06系が充当された。レアなシーンに、さらにレアが加わった格好である。

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前回の教訓(http://tukida.at.webry.info/201108/article_10.html)を活かし、レアなシーンであることが一目瞭然、お分かり頂けるカットをお届けすることが出来た。

東京メトロ16000系 小田急小田原線新宿口入線 2011/8/19

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本日、保線車両トラブルの影響に伴うダイヤ混乱により、通常は新宿への定期運用をもたない、東京メトロ16000系・16004Fが新宿口に乗り入れた。

画像は、参宮橋を通過する下り回送列車(2011/8/19 7:54)。列車はフルスピードで駆け抜けて行き、咄嗟の出来事だったので、これが精一杯だった。後に冷静になって見たら、貴重な新宿口入線シーンであるにもかかわらず、参宮橋である要素に欠けた構図に終わっている。予め分かっていたら、もう少しきちんと写せたのに、やや悔いが残る。

 ・ 過去の入線シーン(東京メトロ6000系)

北総鉄道のリース車両

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夏季休暇期間中の平日、土休日には運用に入りにくい北総7260型を撮影した。運用は固定と聞いていたが、別のヤマでやって来た。八広での撮影時にはハプニングがあって、せっかく1時間以上も待ったのに、モノに出来なかったなど、悔しさが残る結果となったが、ひとまず、記録出来ただけでも、嬉しい。

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というのは、過去のリース車のうち7050型は記録したが、7250型は写真を残せなかったからだ。

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ところで、北総鉄道には自社所有編成とは別に、8両編成2本のリース車が存在する。Ⅱ期線開業当時から見られる方式で、かれこれ20年以上この手法を採り入れている。リース資産とすることで、導入時の負担減効果があるのは分かるが、リース料の負担を考えると、長い目で見ればと新造か、譲受車(中古車)導入の方が、効果的ではないか。或いは、リース元が親会社なので、リース料が市場よりも低く抑えられているあたりに、その効果があるのかもしれないが、供給側は車両数を減らすことは出来ないので、実は効果があまり見い出せない。いずれにせよ,この点につき、真意のほどは不明で、筆者の推測の域を脱しない。

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なお、北総には7150型という京急1000系を出自とする車両が存在した。こちらは譲受車であったが、既に廃車になっている。

銀座線01系と上野にある地下鉄の踏切

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夏休み,かねてから行きたいと思っていた,上野にある銀座線・上野検車区構内にある踏切に行ってきた.平日ダイヤでは,朝に入庫する列車が数本設定されている.上野検車区の留置線は2層式で,列車によっては地下に収容されてしまうため,訪問するには平日の方が効率が良い.

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地下鉄の踏切として珍しいのはもちろん,第三軌条の踏切としても,これまた珍しく,踏切上昇時は逆に線路側が遮断されるのは,ご存知であろう.踏切道路の幅員の分だけ,列車は無加圧となる.

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銀座線01系は,1000系への置き換えが発表された.

さよなら 伊豆急リゾート21 オリジナルカラー

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伊豆急2100系のうち,海側に赤,山側に青を配したカラーリングを今でも纏っていた3次車が,リニューアルされることになった.1次車ゆずりの“リゾート21”・オリジナルカラーは,間もなく見納めとなり,8月18日に記念イベントが行われる.

“リゾート21”といえば,このカラーリングをまずイメージするぐらいなので,リニューアル後も承継してもらいたかったところ.

しかし,この3次車,当初の計画では8000系に置き換え対象だったが,後に変更となり,運行が継続されている.そして,今後も運用されることになったのだから,カラーリング云々よりも,運行の継続を喜ぶべきである.カラーリング変更も,インパクトを与える結果になるのであれば,伊豆急沿線の活性化につながることだろうし,楽しみとして受け止めたい.

【復活!】 185系斜めストライプ 【大胆!】

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東海道本線を中心に運用されている東チタの185系のうち,A8編成の塗装が,かつての斜めストライプに復元され,話題になっている.筆者も,是非写してみたく思っていたが,先日伊豆急線内で撮影することが出来た.

リバイバルカラーといえば,カラーリングだけの復元で,改造などが伴い,当時とはイメージがチト違うケースも見受けられるが,185系の場合,アコモ改造を受けたのみで,外観は外幌と強化型スカート以外は,登場時と変わらないため,当時のムード満点である.



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東チタの185系は,“踊り子”だけでなく“あかぎ”の運用も一部受け持つため,高崎線内でも斜めストライプを見ることが出来る.昨年湘南色になったOM3編成も引き続き運用中であり,高崎線内では,185系のバリエーションが楽しめる.

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