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zoom RSS 大好きだった小田急2600系とのお別れの日

<<   作成日時 : 2009/05/14 19:57   >>

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早いもので、大好きだった小田急2600系が全廃されて5年が経つ。筆者がいちばん大好きな電車のことなので、本来であれば、このブログでも書きたいことがいっぱいあるのに、不思議と、2600系について記事をまとめる気がしなかったが、5年という節目に、やっと記事を書いてみたくなった。最終日の模様をお届けしたい。

2004年6月5日、新宿発の下り始発列車で伊勢原に向かった。この日、唐木田−開成間で運転された小田急2600系の“さよなら列車”を撮影するためである。愛甲石田−伊勢原間の築堤で撮影しようと決めていた。晴れれば逆光だが、上り列車に邪魔される恐れがないため、安全を考慮した選択だった。

この日のために、三脚を新調した。大好きな列車の最後の晴れ舞台、失敗は許されないので、しっかりとした大型三脚を新たに用意した。“さよなら列車”通過までのカメリハ列車で何度も練習し、本番に備える。AFが不得手とする築堤アングルなので、マニュアルに切り替え、通過列車でピントを何度も確認する。

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それにしても、大好きな2600系がこの日を以て引退とは、感慨無量だ。2003年の鉄道の日を記念して、最後まで残っていた2670×6が旧塗装に復元され、2600系が俄に脚光を浴びるようになったが、筆者は、沿線住民として、地味ながら、黙々と活躍する2600系のことが、大好きだった。

“さよなら列車”が見えてきた。ライトが2灯点灯している。これはいわゆるロービーム状態を意味しており、本来の使われ方ではないのだが、2灯とも点灯していた方がサマになっており、最後に相応しい。MB-3095の特徴的なモータサウンドが、今日も軽やかに駆け抜けていく。このモータサウンドも、今日を最後に聞くことが出来なくなる。

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伊勢原駅に戻ると、“さよなら列車”は1番線で定期列車を待避中であった。いろいろアングルを模索するが、残念なことに良い構図が得られない。

その後、栢山駅まで向かい、開成で客扱い終了後、小田原まで引き上げた折り返し回送列車を写す。有名撮影地である開成−栢山間には、おびただしい数のファンが集まっていた。小田急のイベントでは、過去最多ではないか。

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小田原から戻ってきた2600系は、開成駅海側の留置線に入庫。ここがイベント会場である。筆者も開成に向かうが、イベント会場の列には並ばず、一通り見た後、渋沢へと向かい、バスで渋沢−新松田間のポイントまで移動する。

上り回送列車通過まで4時間もあるが、早々とセッティングを済ませ、列車を待つことにした。まだ6月だが、真夏を思わせる暑い日で、顔や腕はすっかり日に焼けてしまった。渋沢−新松田間は山が迫り、季節によっては撮影条件が厳しい所だが、夏至に近いこの日は、問題にならなかった。

タイフォンが聞こえてきた。2600系の上り回送列車である。小田急は騒音苦情を気にして、むやみに警笛を鳴らさないので、聞こえてくる警笛の多さだけで、接近してくるのが2600系だと分かる。最後なので、「沿線住民の皆さん、大目に見てヨ」ということなのだろう。沿線にお別れを告げていた。ヘッドライト2灯状態や、警笛のことなどから察するに、2600系最後の列車を担当したウテシさんも、N6のことが好きだった人のようだ。

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筆者が、2600系にカメラレンズを向け、シャッターを切るのも、このカットが最後となった。このときのことは、今でも大気感まで鮮明に覚えている。

“さよなら運転”に先立ち、2004年5月31日を以て小田急2600系は定期運用を終えている。筆者は、最後の定期運用で藤沢まで往復した。2600系に乗車出来るのもこの日が最後かと思うと、下車駅までのひと駅ひと駅が愛おしく、足がすくみ、豪徳寺のカーブで、とうとう遂に涙がこみ上げてきた。

しかし、終着駅まで乗らず、敢えて下北沢で下車した。ここなら、2600系とゆっくりお別れが出来るからだ。あんなに好きだった2600系と、お別れした瞬間である。そして、去りゆくテールライトを見届けた。

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地味ながら、小田急の通勤通学輸送に大活躍した2600系。心地良いカルダンドライブのモータ音に、42km/hで失効する回生制動。編成組み替えの際に余剰となった車両を利用した、IGBT−VVVFの8両固定編成(2666×8)など、特徴の多い形式でもあった。在籍年数39年という永きに亘って活躍した、そんな実力派の2600系も、2004年6月で営業運転を終了した。

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だが、廃車後の処遇を巡って小田急内部で議論が湧きあがり、その後も2年間、海老名検車区で処分保留のまま編成ごと留置された。車庫不足に悩まされる小田急では、珍しい事例であり、これが特急車だったらまだしも、地味な通勤車における出来事なだけに、特筆される。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 四半世紀前に、アルバイト先の世田谷区内の駅で毎日見ていた懐かしい顔です。
 「これぞ小田急」という顔つき・雰囲気が好きでした。

 足は遅い車両だったのですが、当時はまだ釣り掛けだった4000系や、ラッシュの厄介者2400系が現役だったので、(比較すれば)困らされた記憶もなく5000系の初期車とともに大好きな車両でした。

 自分は東急沿線のため大学時代のほんの一時の付き合いですが、東急の8000系や小田急5000系とともに同世代の思いが強くある車両です。
 
 複々線化後訪問していない沿線に、久しぶりに行ってみたくなりました。
はむてる
2009/05/14 20:39
はむてるさん、初めまして。
ようこそおいで下さいました。
私は2600系が大好きでしたが、引退から5年が経ち、小田急もすっかり変わってしまいました。
ツキだっ!
2009/05/15 10:29

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